“あたり前”を愛する

先月、 ささぶち ひろみ さんから「幸福ゆき」の切符をいただきました。

ひろみさんがお住まいの、熊本県人吉で買えるのだそうです。

#幸福駅という駅がある

【“あたり前”を愛する】

ひろみさんの、普段の暮らしが見える写真や文章は、

家族や目の前の物事への愛が詰まってるなあ、って思っていたのだけど、

ああ、それだけじゃなくて、

土地への愛情も、同じくらいあるんだなあ…と感じたのです。

素敵だな、って。

私はこれまで、進学や就職や結婚で、いくつかの土地に住んだけれど、

その場所への愛着というのが、すごく少なくて。

もちろん、住めば都ではあるし、仲良くなった人たちは大好きだし、

特別に悪い思い出のある土地は、今のところありません。

だけど、ここの人間になっている、ここで生きていくという意識は、希薄でした。

実は、今でもそんな節がある。

ここで心地よく暮らしていくために、必要だと感じることは、苦ではないのです。

ゴミ置き場の清掃当番や、学校行事のお手伝いや、持ち回りになっている地区の役員などは。

ただ、積極的な参加が求められる、地区の慣例ごとには、なかなか足が向かなくて。

生まれも育ちもこの町、という方々に比べると、根づく感覚が薄いままに、過ごしています。

旦那さんが生まれ育った今の住まいも、引っ越してきた当時は、生きづらい場所でした。

私は誰のことも知らないのに、周りの人たちはみんな、私のことを知っていて。

#田舎あるある

距離感も、この土地のあたり前も、何ひとつわからないまま、つつがなく入っていかなければならなくて。

家族を通さず、自分主体の人間関係を築けるようになった頃から、暮らしが楽しくなりました。

私はたぶん、土地そのものより、人に愛着を持っていて。

地元の良さを考えたときに、

「この人がいてくれる場所だから」

が、たくさん出てきます。

それはもちろん素敵なことで、その上でなお、私がまだ気づけていない、土地の魅力は必ずあるはずなので。

歩いていて、足元に咲く花が綺麗だなって思うように、

住んでいる場所を素敵だと感じられる目線を、忘れたくないなと思うのです。

というわけで、この地で義務教育を受け、ふるさと学習を体験してきた娘に、

この町の素敵だと思うところを聞いてみました!

#夏休みっぽい話題!

出てきたのは、こちら。

・山と海がある→確かに。両方遊べる。

・災害が少ない→めっちゃ大事!

・海産物がおいしい→日常すぎて、あと私があまり食べないから、意識していない部分。

・住人みんな家族→田舎独特の繋がりはあるのだけど、意外に閉鎖的ではない。

・学校不適応の生徒への対応が神→田舎なので民間の支援機関がないぶん、公的機関のサポートがありがたい。

 わが家がいちばん恩恵を受けている部分かもしれないw

娘と話していて、土地のことに限らず、

“あたり前にそこにあるもの”を、きちんと見て、愛情を向けること。

すごく大事だな、って思いました。

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