成長の証

先週の『おかあさんといっしょ』の中で、こんな台詞がありました。

「おもちゃ壊しちゃって、ごめんなさい」

「あと、ごめんなさいって言わなくて、ごめんなさい」

これに、私すごく感動したんですね。

【成長の証】

だけど、何に? どこに? が、うまく言葉にならなくて。

なぜ感動したんだろう。って、考えていました。

“自発的な成長”を、感じたからじゃないか。

というのが、今のところの結論です。

おもちゃを壊して悪かったなあ、と思う、出来事に対する気持ちだけじゃない。

ごめんなさいって“言えなかった”じゃなくて、

“言わなかった”自分を、客観視して出てきた気持ち。

その視点を持てることが、ものすごい成長だな、って。

高校生の娘が、最近、関係が遠のいた友人に対して、こう言っていました。

「仲良くしたいよ。」

周りに合わせすぎず、自己中心すぎず、

確固たる“自分”があって、互いの距離感を捉えることができていて、

その上で、私が「仲良くしたい」と望んでいるのだ。

と、自分で理解して、発した言葉でした。

主観と客観、自身を捉える視点を、2つ持っている。

それは、紛うことなき成長の証だと思うのです。

母になってみて、子どもの成長が、私は嬉しい。

現実であれ、物語のなかであれ。

だから感動したんですね。きっと。

実に良きものを、見せてもらっています。

#感謝!

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