「不登校対応の答えは、話しあいの中にある。」

蓑田雅之さんのブログの、抜粋記事を読みました。

タイトルは「不登校対応の答えは、話しあいの中にある。」

講演会などの「おはなしワクチン」活動をしていて、参加者からのこんな質問があるそうです。

  • ゲームを制限していますが、好きなだけやらせて大丈夫でしょうか?
  • どうやったら子どもを外に連れだせますか?

それぞれにできる範囲で答えながら、蓑田さんが感じたことが、

お子さんへの対応に関して「正解」を求める人が多いなぁということです。

これは、私ももれなくはまった沼です。

いろんな情報と経験を得ることで、選択肢が増えて楽になる部分もありますが、逆に何が正解かわからなくなるんです。

「こうかな?」とやってみている渦中で、違う情報が入ってくると、「やっぱり違うのかな…」と迷ったり。

自分でこうと決めても、本当に正しいのかと悩んだり。

どうかすると、今でも深みにはまりますね。

そんな揺らぐ親への言葉が、染みました。

不登校になっているお子さんとの日々の「対話」が足りていないのではないかということです。

いま目の前にある問題を解決しようと焦るあまり、肝心かなめの「本人」の気持ちを聞き出せていないケースが多いような気がします。

(中略)

たくさんたくさん心を開いて、馬鹿話でもいいから、話しあってほしいのです。

急いで正解を求めるのではなく、目の前にいるお子さんの顔や顔色を見て、目を見て、どんな気持ちなのかを想像しながら話を聞いて、その上で上記のような質問をお子さんに投げかけて、一緒に答えを探してほしいと思うのです。

全てを魔法のように解決する答えはありません。いつだって答えは個々の中にありますし、それを見つけるためには相手とじっくり話しあう必要があります。

――人とのコミュニケーションとして、あたり前のことが書かれています。

ひとたび問題が起こると、それができなくなってしまう親の姿にも気づかされましたし。

普段あれほど「個々に合わせた支援が大事」と考えながら、同時に唯一絶対の正解を探してしまう自分自身も思い知りました。

これも何度も痛感していますが、

「知識として頭でわかるのと、本当に理解して知恵として身につくのとは違う」

のだと、改めて心に刻んでおきます。

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