自分の器を広げたい

昨日、Facebook投稿へのコメントについて考えていて、

相手にちゃんと感想を伝えるには、読解力や語彙力がないと難しいんだな…と思いました。

あたり前のことなんですが、受け手側にも器が必要だな、と。

この受け取る側の視点でいくと、たとえば物語を読むのでも、より深く楽しむには、“読みとって感じる力”が必要だし。

ストレス解消のために運動しようと思ったら、“体のどこをどう動かしたら、どんな感覚になるかを知っている”ことが必要で。

楽器を演奏するとか文章を書くとか絵を描くとか、創作的な活動を楽しめるのも、そもそも“ある程度の基礎が身についている”からだと。

私はときどき、託児のボランティアをやらせていただいているのですが、

赤ちゃんをあやしながら「癒やされるー!」となるのは、きっと子育ての経験のおかげです。

ふにゃふにゃの赤ちゃんそのものに慣れていなかったら、まずどこに力を入れて抱くものかわからないし、泣いたらオロオロしてしまうし、

めちゃくちゃ緊張するから、赤ちゃんを預かるボランティア=純粋な癒やしにはならなかったんじゃないか、と思います。

世の中のあらゆる楽しみや、癒やしを受け取るのでさえ、やっぱり“基礎力”は必要になるわけで。

すべての分野で、プロ並みの知識や経験を得るのは不可能だし、“受け取って楽しむ”でいいのだけれど、

受け手側としての基礎力は身につけていたいし、器を広げていきたいです。

…こういう気持ち、あたり前すぎて忘れてしまいそうなので、書き残しておきます。

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