やらせようとしない

長女がお世話になっている小児科の先生に、いまの娘との関わり方で、心がけるとよいことはありますか?

と、訊いたところ。

「今は、やらせようとしないことですね」

そうおっしゃっていました。

何かをさせようとするのではなく、見えにくくても、小さくても、本人が発する「したいこと」を、すくい上げていく。

難しいことですけれど、それが基本姿勢になります、と。

言われてみて初めて、そもそもそれは、教育や子育ての基本なのではないか、と気がつきました。

「やらせなければならない」世の中

朝起きて、決まった時間に学校に行かなければならない。

座って授業を聞かなければならない。

偏りなく、全科目を勉強しなければならない。

宿題をしなければならない。

読書も、運動も、家の手伝いも、しなければならない。

友達と仲良くしなければならない。

毎日、そうしなければならない。

子どもが、そんなふうに小学校生活を送れるように、親はしなければならない。

…改めて考えてみると、一般的に「健やかな小学校生活」を過ごすために、やらなければならないことって、たくさんあるんですね。

それが、あたり前だと思っていたけれど。

だからこそ、親は子どもたちに「早く起きなさい」「宿題やりなさい」と、言うのだけれど。

本当は、子どもたちが毎日楽しくて、自分から起きて支度をし、目を輝かせて学びに行く。

帰ってきて、意欲的に、課題に取り組む。

ひとりひとりが、そんなふうに、学校へ行けたらいいのにな、と感じました。

みんなが同じペースで、同じ量をこなしていくのではなく、その子らしいやり方で。

子どもたち全員が、平等に高い水準の教育を受けられる日本のシステムは、ありがたいし素晴らしいのですが。

子どもが意欲的に育ち、生きられるように、と考えたときに。

親として、子どもにどう向き合っていくのか。

省みる時間を、今、娘からもらっているのだと思いました。

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