私は、これまで生きてきて、うまくいかないなあ、しんどいなあ、と思うことが多々ありました。
離婚したとき、失恋したとき。仲間外れになったとき、自分の答えを曲げたとき。
何かにつけて辛かったのは、自分の生きづらさの原因を、外に求めていたからでした。
親が、恋人が、旦那さんが、友達が、世間が、こうだからしんどい。
だから、自分を取り巻く外側が変われば、私は幸せになれるんだ。
無意識に、そう思っていたからです。
自分の生きづらさの原因は、自分の内側にある
この1年あまり、生きづらさに苦しむ長女と一緒に、歩んできました。
私がしんどくても、それは絶対に子どものせいではなかった。
立ち止まって、自分を見つめる時間をもらえたことで、私はすでに幸せだったと気づくことができました。
それは、今だけのことではないんです。
ずっとずっと昔から、幸せでしかなかったんです。
周りの人がどうであれ、私が辛かったのは、私の内側、受け取り方や関わり方の問題だった。
だから、私は辛くなる必要は、まったくなかったのです。
生きづらさを最初に自覚したとき、自分を取り巻く環境や、育てられた環境にも原因があるのではないか、と思いました。
原因を知って、自分を変えていきたいと思ったけれど、それがわかったところで、私はきっと、誰かのせいにしてしまうだけだったでしょう。
誰のせいでもなくて、ただちょっとだけ、外側とうまくいかなかった私がいただけで、でもそんな私が決してだめだったわけではなくて、そのまま幸せな自分でいてよかった。
自分が辛くなるような価値観を、わざわざ選ぶ必要はなかった。
すべての生きづらさは、自分の内側の世界で起こっていただけのことでした。
しんどくなる感情を選ばなくてもいい
毎日、嬉しいこと楽しいことばかり、とまでは、まだ言えませんが。
世間一般的には大変だったりつらかったりするのだとしても、昔よりたくさんの物事が、楽しめるようになってきました。
悲しみや、つらさや、怒りや。
喜怒哀楽を、めいっぱい感じて生きていくことは素敵ですが、それに支配されなくてもいいのだと、わかってきました。
腹が立ったからといって、イライラして過ごすことを選ぶ必要はない。
つらいからといって、涙に暮れるのはいいけれど、それで日常生活に支障が出るほど落ち込むことを選ぶ必要はない。
どんな出来事があって、どんな感情を抱いたとしても、自分の幸せが左右されるわけではない。
悲しみや苦しみに耐えて過ごすということではなく、自分で過ごし方を選べるということなのです。
それはとても自由で、軽やかで、幸せな生き方だと思います。