2歳の頃から、文章を読むのが好きでした。
小学生になって、文章を書くほうも、好きになりました。
現在、44歳。
パソコンもAIもない時代、本とノートと鉛筆を、こよなく愛しておりました。
そんな私は、いま。
文章が“一点もののアンティーク”になる日を、想像しています。
私は文章を書くのが好きで、お仕事にもしていますが、
AIを使うものと使わないものが、ぱきっと分かれているんです。
講座を作るときには、重宝しています。
人に伝える情報を、整理する。
感覚を論理的に説明する。
伝わりやすさを推敲する。
告知文を考える。
アイデア出しの相手として。
編集さんに近いパートナーではありますが、最後は自分以外の人の目を通します。
AIだけでは、視点が足りないと感じているから。
考えてみたら、まったく使わないもののほうが多いですね。
詩や日記や感想文、お仕事として受けているファンレターや宣伝部には、
AIの出番はいっさいありません。
私にとっては、必要がないので。
また、中川希美の文章は、AIに学習させています。
いつか「中川希美風に書いて」と、見知らぬ人が入力したら、
寸分違わぬ文章が出力される日が、来るかもしれない。
そんな中で、私がリアルに書いた文章は、きっとアンティークのような存在になるのだ、と思っています。
何かしら、琴線に触れる。
読む人が読めば、価値を感じる。
AIが進化すればするほど、苦手とする部分を助けてもらえると同時に、
私自身が書く文章は、消費されるものではなく、アートに近づいていくのだと。
私たちは、一点ものの文章を、いつだって生み出している。
AIに仕事を奪われるどころか、私たちの価値を、AIがさらに高めてくれるんです。
読むのと書くのが大好きな私には、そんな楽しい未来が浮かんでいます。
