「あ、血」
指を切った。
ちいさな傷だったけれど、服や食べ物についたら困るので、
娘に絆創膏を巻いてもらうことにする。
やさしく触れる娘の手は、私よりあたたかい。
細く長い指先で、ていねいに、絆創膏を巻いてくれた。
貼り合わせのズレもなく、浮きもなく、締めつけすぎることもなく。
すべてがほどよい、絆創膏。
私が適当に巻くと、ズレるわ浮くわで、長持ちしないのがお約束である。
私の「適当」は、「いいかげん」の適当だけれど、
娘の「適当」は、「ほどよい。ちょうどよい」の、適当なのだ。
私が「適当にやる」と、手を抜く、力を抜く、いいかげんにやる。
という、大ざっぱな方向に動いていく。
娘に「適当にやる」とは? を聞いてみたら、
頼まれごとなら、相手の感覚に合わせてやる。
自分のことなら、自分の好きなようにやる。
のだそうだ。
そのときの最適を追求する方向で、動いていく。
私とは真逆。
どうりで「適当でいいよ」と言っても、こと細かく質問してきたり、
仕事がていねいだったりするわけだ。
使っている言葉の意味が、まったく違うことに、おどろきながら。
そんな「適当」の使い方をしている娘を、本当にすごいなあと思うのである。