10代の頃の私は、詩と小説を書いていた。
今は詩とエッセイを書いているわけだけれども、これらは同じ「言葉を綴る」ことでありながら、似て非なるのがおもしろい。
小説やエッセイは、核となる部分を効果的に演出するために、ひたすら肉付けしてゆく。
詩は逆で、極限までシンプルに削ぎ落として、研ぎ澄ませてゆく。
どちらも私の中にあったものなのに、外に出すと真逆の形になっているのが不思議である。
ジャンルの向き不向きだとか、客観的な評価は、自分ではわからない。
けれど私にとっては、車の両輪のように、一方が欠けると、もう一方もうまく出てこなくなる気がしている。
それはたぶん、表と裏、陰と陽が存在するのと同じ理由で。
私が表現したくなるものたちにも、ふたつでひとつの命が宿っているのだと思う。