【noteエッセイ】ようこそ、反抗期

「やる」か「やらない」かを決めるとき、大人になるほど、もっともらしい理由をつけることが上手になる。

自分の選んだほうが正しいと証明するために、意義を造り出すようになる。

突きつめれば、ただなんとなく「やりたい」「やりたくない」だけであることも多いのに、

もっともらしい理由で、こってりと塗り固めてしまう。

周りの人は、そうとわかっていても、誰も指摘してはくれないから、自分で気づくしかない。

怖いのは、自身だけでなく、子どもに対しても、そうなってしまうことだ。

「やるべきだ」「やらないほうがいい」理由を、子どもが反論できないように築き、囲ってしまう。

あなたのためだとか、将来のためだとか、心配しているからこそだ、とか。

本当にそうだろうか。私はただ、自分の都合を、正論にしたいだけではないのだろうか。

私は私を疑っている。私の正論に、確信はない。

私は絶対的には正しくない、という確信だけが、ずっと頭にこびりついている。

親の正論を、子どもが的確に貫いてゆくのを、心のどこかで待っている。

わが家へようこそ、反抗期。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする