「やる」か「やらない」かを決めるとき、大人になるほど、もっともらしい理由をつけることが上手になる。
自分の選んだほうが正しいと証明するために、意義を造り出すようになる。
突きつめれば、ただなんとなく「やりたい」「やりたくない」だけであることも多いのに、
もっともらしい理由で、こってりと塗り固めてしまう。
周りの人は、そうとわかっていても、誰も指摘してはくれないから、自分で気づくしかない。
怖いのは、自身だけでなく、子どもに対しても、そうなってしまうことだ。
「やるべきだ」「やらないほうがいい」理由を、子どもが反論できないように築き、囲ってしまう。
あなたのためだとか、将来のためだとか、心配しているからこそだ、とか。
本当にそうだろうか。私はただ、自分の都合を、正論にしたいだけではないのだろうか。
私は私を疑っている。私の正論に、確信はない。
私は絶対的には正しくない、という確信だけが、ずっと頭にこびりついている。
親の正論を、子どもが的確に貫いてゆくのを、心のどこかで待っている。
わが家へようこそ、反抗期。