高校生のとき、演劇にハマりました。
観るほうじゃなくて、演じるほうに。
それまで、いつもクラスのすみっこで席をあたためていた、沈黙の少女だった、
人前で舞台に立つなんて考えられない、とんでもないバンジージャンプ!
な私が、なぜか ふと思い立って演劇部に入部。
裏方でなく、役者志望として。
そこで初めて、
「頭で理解することと、体で実感することの違い」
を、体験したのです。
物語を読むのは、小さい頃から大好きだったので、
役に感情移入するのは、難しくはなかったんです。
なのですが、自分の内側で感じることと、
それを自分の体を通して表現することの間には、大きな隔たりがありました。
心で思って、頭でわかっていても、体が動かないんですよね。
そこに、舞台ならではの動きの演出が加わってくると、
自分が内側で感じているものと、外側で表現できるものとのズレが、さらに増して。
役者さんってすごいんだなあ。
身も心も役になりきれるって、すごいことなんだなあ。
同級生のトップ役者は、くるくる変わる表情と軽やかな動きで、いつも舞台に立っています。
それでも楽しさのほうが勝っていた私は、
毎日、毎日、台本を手に、台詞をしゃべりながら、動いて。
ある日突然、そのときが来ました。
しんと冷えた、冬のはじまりの頃でした。
すっかり暗くなった帰り道を、自転車で走っている最中に、
私の演じる役が「わかった」のです。
彼女が、普段どんなふうに過ごしていて、どんなことを考えていて、
どんな気持ちで生きているのか。
台本の中、舞台の上で描かれている時間ではない、見えない部分。
彼女の人生が、音を立てて、私の体に流れ込んできた。
滝のように激しく、稲妻のように速く。
自分の内側と外側が、私と役の彼女が、ひと続きにつながる。
「理解する」を、「体感する」。
心の奥底から、喜びがふつふつと湧き上がってきます。
頭で役を理解することと、体で役を実感することは、
こんなにも違うのだと、初めて知りました。
大人になってから、これが「腑に落ちる」と表現する種類の衝撃だ、とわかりました。
この感覚の違いは、今でもよく体験します。
本を読むときも、学びの場でも、暮らしの中でも、
「なるほどー!」とうなずく段階と、
自分の体験として「そういうことか!」と、腑に落ちる段階と。
腑に落ちるって、自分の中に、まっすぐにそれが落ちてきて、
その衝撃で、細胞と細胞が結びつくような感覚なんですよね。
「腑に落ちる」を辞書で引くと、
心の底から深く納得する。心にすとんと収まる。
といった説明が書かれていて、それに深く納得できる。
演劇部での、この出来事は、
気持ちを体の感覚で表現するということを、いちばん最初に意識した体験です。
今、文章を書いている私にとって、
この体験は、表現の土台になっている。
そう思います。
