オカルト研究会と呪われた家(緑川聖司)

息子が、母のために図書室から借りてきてくれた本。

前回は、こちらのシリーズでした。

*悪魔の思考ゲーム1*

今回は、呪いかあ。
怖いのは、あまり得意ではないのですが…
これぐらいなら読めそうな雰囲気を感じる、タイトルと表紙。
母はこういうシリーズが好きだと思ってくれているのだろうか?

「なんでこれ選んでくれたん?」
聞いてみたら、
「前の『悪魔の思考ゲーム』の本のおわりに、これがのってたから…」と。
なるほど、巻末広告から選んでくれたんですね!
私が「おもしろかったよ!」って言った本に、関連づけて考えてくれているのが、嬉しい。

というわけで、さっそく読みました。
返却期限もありますからね。

さらっと読めるボリュームと、親しみやすいキャラクターが、よきです。
なにより怖すぎない。綾辻行人さんより怖くない(笑)。
オカルトですが、挿絵がライトなので、必要以上にリアルに想像せずにすむ。
そのぶん、純粋にストーリーや謎解きを楽しめます。

最近気がついたのですが、息子が借りてきてくれる小学校の本は、
空き時間に、気軽に読み終えられる分量だし。
読みきれなかったとしても、読書の中断と再開が、それほど苦痛じゃないんです。

基本は、本の世界にとっぷり浸かって出てこないのが、お約束の母ですから。
こんなにさらっと、閉じたり開いたりできる小説は、ある意味 貴重です。

児童文学の棚に並んでいるものなのだろうけれど、
小中学生の頃にたくさん読んだ、ライトノベルに近い感覚なんですね。

私は、ライトノベルは小説じゃない、あんな漫画みたいな本。と、大人に言われて育ってきた世代。
失礼千万な話です。
ただ、確かに軽い話も多いからなあ…一理あるのかもしれないなあ。って思う自分も、当時は存在していました。

でも。
大人になったいま、私は確信しています。

ライトノベルの軽さは、テーマでも世界観でも、ストーリーでも挿絵でもない。
文章のとっつきやすさですよ。
ライトに読める、読みやすさ。
これが、何より大事な魅力なんですよね。

だから、読むのに長けた人からすると、文章的につまらないと感じることも、
もしかしたら、あったのかもしれません。

だけど、重くて深いものを、いかに軽く読みやすく掬い上げて書くかって、
これもまた、才能だと思うのです。
もしこの話が、一般文芸の筆致で書かれていたら、私は怖くて読めなかった。

児童文学、ライトノベルだからこそ、楽しめる物語。
息子のおかげで、読書の楽しさが広がっています。

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