【掌編小説】かわいくなりましょう

美容院なんて、何年ぶりかしら。
あたしはドキドキを抑えられない。
なにせ、娘が生まれてからというもの、自分に時間をかける余裕がなかった。
早くて安いが最優先。髪はいつも娘と一緒に、近所の千円カットですませていたから。
久しぶりに、ゆっくりシャンプーもしてもらおう。

今日は、母親になってはじめて、美容院へやってきた。
隣には、ちょっぴり緊張した面持ちの娘がいる。
アニメかCMかなにかで、女の子を魔法のように可愛くしてくれる美容院の存在を知った娘が、
「ママ、びよういん、いってみたい!」
と言い出したのだ。可愛いものが大好きな娘らしいな、と思う。
いつものところよりお時間かかるけど、静かにしていられる?
お椅子で髪の毛、洗ってもらうんだけど、いい?
娘は、あたしの言葉のひとつひとつに、うん、と力強くうなずいた。
それならば……と母娘ふたり、お子さま歓迎と書かれている美容院に、予約を入れたのだった。

「いらっしゃいませ! ……こんにちは、きてくれてありがとう!」
ドアをくぐると、フロントのお姉さんが明るく迎えてくれた。
娘にも、膝を折って声をかけてくれる。
「お待ちしておりました。はじめまして、お嬢さん」
美容師さんが、にこやかに椅子をすすめてくれる。
あたしと違って物怖じしないタイプの娘は、笑顔に囲まれて、緊張もとけてきたみたいだ。
「ねえママ、おねえさんたち、きれいだね」
娘の言うとおりだった。美容院で働く人は、みんなきらきらしている。
服も、髪も、メイクも、すごくオシャレ。肌はつやつや、表情はいきいき。
対するあたしは、出産ですっかり細く少なくなった髪、メイクではごまかせない肌のくすみ。ネイルのひとつもない、荒れてかさついた手。
久しぶりに、おでかけ用のワンピースを着てみたものの、なんだか場違いに思えてしまう。
娘は出がけに、ママかわいいね、おひめさまみたい。なんて言ってくれたけど。
お気に入りのスカートをはいて、くるくる回って喜ぶ娘のほうが、何倍もお姫様だ。
「そうだね、きれいだねえ」
きゅっと指を手のひらで隠して、あたしは曖昧に笑った。

「今日はどのようにいたしましょう?」
美容師さんが、ていねいに聞いてくれる。
「おねえさんみたいに、かわいくなりたいです!」
娘の言葉に、美容師さんの顔がほころぶ。
ええと、前髪は眉にかからないぐらいで、後ろは園で遊ぶときに結べるようにしたいので……。
ちょっとくせっ毛で、ここがはねやすくて、ふわっとした髪型が好きで……。
娘のリクエストのあとから、実生活に欠かせない情報と希望を伝えていく。
「かしこまりました。では、このような感じはいかがでしょう? どうかな?」
子ども用のカタログを開いて、あたしと娘それぞれに確認をとってくれる。
この人、いい人だ。娘もとっても嬉しそう。
お子さま歓迎のお店を探して、本当によかった。

「お母さまは、本日はいかがいたしましょうか?」
娘の髪型が決まると、次はあたしの番だった。
どうしよう。娘のことは、あれこれ考えていたけれど、自分のことを忘れてた。
オシャレからすっかり遠ざかってしまったあたしには、流行りのへアスタイルも、色味の違いもわからない。
あたし、どんな髪にしたいんだっけ。どんなファッションが好きなんだっけ。
「あ、えっと……」
答えられない。あたしの希望が、出てこない。
「……邪魔にならないような、」
うつむいて、ちっともきれいじゃない指を、きゅっと握った。
そのとき。
「ママを、かわいくしてください!」
声を張り上げたのは、わが娘だ。
「おひめさまみたいに、してください!」
隣を見ると、にこにことあたしを見つめ返す、娘のまんまるな瞳があった。
お姫様って。ママ、もう三十代なんだけど。
でも。
「……ふふ」
そうだね。あたしも、可愛くなっていいんだよね。
きれいになりたいと思って、いいんだよね。
「はい。可愛くしてください。でも、動きやすいのがいいです」
顔を上げて、あたしは笑った。美容師さんも、微笑んでうなずいた。
「かしこまりました! それでは、」
ヘアカタログを広げるあたしの横で、娘が得意げに胸をはっている。

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