「『育ちがいい人』だけが知っていること」を読んだ長女が、
「私、別に、玉の輿にのるような女性が理想じゃないんだよね。マナーはちゃんとした方がいいんだろうけど」
と話しかけてきました。
私も、玉の輿狙いで読んだわけではないですが(笑)。
昔は「自堕落に好きなことを好きなようにできるのが自由で、きちんとした生活は息苦しい」と思っていました。
それが大人になって、体に無理がきかなくなって…たとえば、欲望のままに徹夜で本を読んだら、次の日仕事にならないとか、そんな体験を重ねて。
昔つまらないと思っていた「規則正しい生活」というのは、自分を大切に扱い、自由に生きられる体を作ることと同義だったのだと、ようやく気づいたわけです。
同じように、慣れるまでは大変な「気品ある立ち居振舞い」も、広い視野で眺めたら、自分を愛し慈しむための方法です。
「…だからお母さんは、上品なおばあちゃん目指して、やってみようかな、って。
だけどもちろん、それは今のお母さんの考えであって、昔は、もっと自由に好きに過ごすことが理想だと思ってたよ。
今から育ちがいい人になるのも素敵だし、だらだら自由な時間を過ごすのもいい経験だし、どっちでもいいんじゃないかな」
私は自分なりの体験や気持ちを語りました。
もともと、長女は「やるならちゃんとやらなきゃ」が強い子どもなので、気楽に構えるぐらいでちょうどいいのではないかと思っています。
そこから、私のひとり暮らし時代の話になりました。
当時は、厳しい実家から出たい気持ちが強かったので、「自由」の軽やかさに感動したものです。
ただ、自由と自堕落との区別が下手だったせいか、相応に羽目も外したし、楽しかったことも大変な目に遭ったこともありました。
全部含めて今があり、まあよかったなと考えているので、娘も自由や自堕落を味わいながら、ゆっくり成長すればいいじゃないか、と。
そんな母に、長女は事もなげに言うのです。
「私は、自由すぎたら自分がだめになると思うから、別にいいわ。自由すぎると不安だし」
――確かに、わかります。
自由についてくる責任や、軽やかゆえの心許なさ。
自分の自由を守るためには、自身を律することも必要ですし。
自由であるためには、自分を大切にして、健やかに育まなくてはなりません。
だけど、私が40年近くかけて体感したことを、10年ちょっと生きただけで、ちゃんと言語化できるとは…。
「○○ちゃん、すごいね」
素直に感心したら、
「だって、いろんな本を読んだら、そう思うよ」
という言葉が返ってきました。
なるほど、読書でさまざまな状況や気持ちを体験しているんですね。
そう考えると、子どもが本を読みたくなるような暮らしをしてきた私の子育ても、なかなか素敵だったんじゃないかな。
…なんて、密やかに喜ぶ私なのでした。