いじられキャラから抜けだしたい(梅涼)

涙なしには読めない、コミックエッセイです。

私は「いじられキャラ」にすらなれない存在だったから、昔はそれすら羨ましく思っていたけれど…。

「好かれるように」「一人にならないように」過ごそうとしてきたのは梅涼さんと同じで、だから傷つき方も似ているんだと感じました。

「自分で自分の価値を感じられなかった。他人の評価や反応が私の価値のすべてだった」

「自分で自分の良さを捨てて、他人が作った良さに合わせていた」

だから、学校という集団の中では自分を好きになれなかったし、自信がなかったし、いつまでも変われなかったんですね。

高校生でそれに気がついた梅涼さんは、すごいです。

私は、「ここじゃなかったら、もっと違う自分になれる」「他の誰かとだったら、もっとできることがある」

限りなく他者に委ねたまま、30年ぐらいは生きていましたから。

他人軸で生きている間は、普通の状態が0かマイナスなので、ものすごくブレやすいし、幸せを感じられませんでした。

逆に、普段がプラスになると、多少辛いことがあってもマイナスになりにくいし、「幸せ」が基本モードです。

ある時気づいたんだ。他人に合わせて生きてきた道には、なにも残らないってことに。

だから、他人が自分をどう思うかより、自分が自分をどう思えるかを大切にしたら、前よりもずっと自分を好きになれたんだ。

自分を好きになるのが、どれほど幸せに影響を及ぼしているのかは、体験するとよくわかります。

梅涼さんに共感するとともに、学生時代の友達にも、いじられ役の人がいたことを思い出しました。

いつもニコニコしていて、交友関係も幅広く社交的で、「愛されキャラでいいなあ」と思っていたけれど。

いじられることを、本人がどう感じていたかなんて、考えもしませんでした。

自分からは見えない気持ちにも、ちゃんと心を向けられる人間でいたいです。

「なりたい自分を自分が否定しちゃダメ」

帯に書かれていた言葉です。

私は、たくさんの人に好かれたくて、「少女漫画みたいな可愛らしい天然キャラ」を目指しながら、実際は根暗キャラ・オタクキャラの立ち位置で、10代を過ごしてきて。

その後も、やたら正論に偏ったり、奔放になってみたり、いろんな意味で「イタい人生」ではありましたが。

30代からは、世間的には「おとなしい穏やかな人」になっているようです。

そんな私が、大きく感情を表現すると、またキャラクターが変わるかもしれないけれど。

周りからは「どうしたの?」と思われるかもしれないけれど。

自然体の魅力が欲しいから、自分を好きでいたいから、もっと中身をさらけ出してみよう!

自分の人生において、他人はしょせん「脇役」でしかなくて

話の結末を決める主人公は

いつだって自分自身なのだから

ですよね!

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