放課後等デイサービスの作業療法士さんが、長男と話したときのこと。
お絵描きから始めて、恐竜クイズで盛り上がり、ずいぶんと気持ちがほぐれた長男は、学校のことをいろいろとおしゃべりしたそうです。
教科の先生によってクラスの雰囲気が違うこと。
どの子とどの子が仲良しか、喧嘩をするか、にぎやかに騒ぐか、静かに座っているか。
「本当に周りをよく見ていて、理解力も高く、感受性豊かです」
作業療法士さんは、長男をそう語りました。
いま教室に行けなくなった状態は、おそらく、
「彼にとって“表現すること”のハードルは高いので、外にうまく出せない一方、周りのいろんなことを受け取りすぎる疲れが、じわじわと溜まっていく」
のだろう、とのこと。
それでも、長男の心身の状態そのものは、安定している様子で。
無理をさせるより、本人のペースを尊重した方がいいように感じたそうです。
“自分なりに、安心して楽しく過ごしてくれれば、それでいい”という私の思いが、大きくずれてはいなくて、よかったです。
ただ、長男の細やかさは、正直そこまで理解できていませんでした。
言語化がうまくないし、態度もわかりづらいし、家では話を深掘りしにくい。
だから、息子がそんなにも周りをよく見て、いろんなものを感じ取っているのだと、気づけなかったんです。
「何かを考えているのかいないのかわからないけれど、まあいいか」ぐらいで過ごしていました。
私ももっときちんと聴けていたら、また違ったサポートができたんだろうか。
でも、母は学校生活が気になっていても、長男にしてみたら、1日頑張って帰ってくるわけです。
ほっと息をついたときに、自分がうまく話せないことを延々と尋ねられたら、疲れるだろうなあと思うと、根掘り葉掘り聞く気にはなれません。
そこについては、
「お母さんはそのぐらいの緩さがあった方が、長男くんも安心して家で過ごせると思いますよ」
と言ってもらえたので。
長女の不登校で学習したさまざまなことを、少しは活かせているようで、母もちょっぴり救われました。
これからも、子どもたちの安全基地として、巣立ちのときまでサポートしていきます。