昨日の日記の続きです。
今日は、子育てについての「気づき」の先のお話。
【「気づく」の先にどうするか・2】
“気づく”でいうと、昔よりも子どもに「ありがとう」「ごめんね」を言う回数が増えたのも、同じだと思っています。
親子だから、ですませて思考停止していた部分に気づき、自分を客観的に見られるようになってきた。
つまり、子どもと対等に向き合えている、ということでもあります。
ただ! 謝る回数が増えたということは、過ちが多いともいえるんですよね。
“こちら側の不足が原因で、何度も似たような過ちをくり返す”って、他人にだったらまずしないはずです。
#たとえばイライラが抑えきれなかったり
#何回言えばわかるんだと思ってしまったり
#正論で追いつめてしまったり
私が「ごめん」と反省するたび、子どもは許して受け入れてくれているけれど、
いつまでも子どもの器の広さに甘えていてはいけない、と思います。
今やっている改善策としては、
イライラの爆発については、部屋の壁の目につくところに、怒りメーターが貼ってあり、
それを見て「そんなに怒ることじゃないよ」と自分に言い聞かせたり。
子どもも大きくなったので、爆発する前に距離と時間をおくように心がけたりしています。
「何回言えばわかるの!」については、とにかくひとりで感情を積み重ねないように意識しています。
要するに、過去のあれもこれもが私の脳内にあふれているだけなので、子どもに伝えるのは、いま目の前の物事についてだけでいいのだと。
#夫婦喧嘩でも同じですね
また、自分が正論に走りやすい自覚はあるので、本当に大切な核の部分以外は、ゆるっと子育てできるように、
あえて意味のない行動を生活に取り入れるようにしています。
「正論だけで人は動かない」を教えてくれたのは、実は幼い頃の息子たち。
私は姉妹で育ち、親も厳しかったため、いわゆる“男子あるある”のすべてが未知数だったんです。
#やたら棒と石を集めるとか
#いつも何かと戦っているとか
#段差があったらとりあえず跳ぶとか
だから、お風呂上がりに裸でパンツを振り回して戦う状況に、まったくついていけなかったんだけれども、
「寒いから服を着ようね」と言っても通じないことだけはわかりました。
で、母は一緒にパジャマを振り回しながら参戦して、戦いながらするっと着せる技を身につけたのです。
#例として正しいかどうかはさておき
あと最近は、注意すると「お母さん、すぐ怒る」と言われるので、
普段の「お便りためないで出して!」「おもちゃ片づけて!」などのお願いは、
まず丁寧に「してくれるとお母さんは嬉しい、助かる」と伝えてみます。
それでもだめだったり、私がイラッとしたりしたときは、
「お便り〜ランドセルでつぶれてる〜とっても欲しいわ〜出〜し〜て〜♪」
と歌い踊りながら、息子に迫ります。
#ミュージカルスタイル
#だいたい呆れ笑いで出してくれる
#母がおかしすぎて諦めの境地らしい
「気づき」の先の「改善」、まだまだ試行錯誤中です。