ここしばらく、毎日の暮らしに停滞感があったのですが。
なんとなく抜け出したっぽいので、私が今回やってみたことを、記録しておこうと思います。
#そして次に活かす!
【停滞から抜け出した方法】
だいたい「これでいいのかな…」と不安を感じたときに、私は停滞します。
なので、別のことをしていても、不安が拭えなくなってきたときが、停滞感の始まりです。
[起:停滞を見つめる]
まず、私は“自信がない”状態がデフォルトだそうなので、
自分を“「これでいいのかな…」でいいんだ”と、認めてあげないと、次に正しく進めません。
“「これでいいのかな…」じゃだめだ”と思うと、いたずらに焦るだけなので。
そして、不安感や停滞感を、つらつらと言葉にしてみます。
このときに文章化すると、アンニュイな文学青年気取りの輩みたいな、めっちゃ気持ち悪い文章が書けますw
#極めれば文学者になれるのかもしれないけど
#私がやるとナルシストにしかならない
一通り出して落ち着いたら、次は、停滞しているのが物理的な状況なのか、気持ち的な状態なのかを判断します。
今回の場合は、気持ちのほうでした。
[承:ありがとうを唱える]
“ありがとう”という言葉のパワーは、多く語られていますけれども、
私は過去に“とりあえず5万回唱える”でなんとか生き延びた経験があるので、困ったときは唱えることにしています。
こういう、何かひとつをシンプルにやる、わかりやすい方法が私には合うようです。
小池浩さんという方の著書で読んだ、
言葉に出すこともひとつの行動です。
人生が停滞しているときに共通するのは「行動していない」とき。
という言葉が、なかなか大胆に動けず、急激な変化が怖い私のお守りになっています。
ありがとうと唱えるだけなら、生きてさえいればできるので。
唱えているうちに、気持ちが追いついてきます。
“私が今ここに在ること”“今ある豊かさ”に感謝して、味わえる余裕が生まれてくる。
焦りが減ると、急いで行動しようとして、よけいに深みにはまるのを避けることができます!
[転:伝えてみる]
今回は、暮らしの上での気持ちの焦りだったので、旦那さんに直接伝えてみました。
私はこんなことがあって、こんなことを感じて、これでいいのかなって焦っていた、と。
こういうとき私は、友達にしろ家族にしろカウンセラーさんにしろ、
たぶん相手に否定はされないだろうとわかっていて伝えることが多いです。
そういう相手をあえて選ぶのがずるいな、って自分で思っていたけれど、問題は実はそこではなくて。
[結:素直に受け取る]
家庭生活においては、旦那さんはたいがいのことは「よく頑張ってくれてるよ。今のままでいいよ」と言ってくれます。
昔の私は「そんなこと言ったって…」「でも、どうせ…」と素直に受け取れなかったし、
それでまた相手から承認してもらうことで、自分を正しく存在させようとしていました。
問題はここなんです。相談する相手を選ぶことじゃなくて、
この“相手に自分の価値づけを依存する”のが問題で、だから同じ停滞をくり返しているんだ、と。
なので、旦那さんが認めてくれたところ、ほめてくれたところは、
素直に「あら、そう? ありがとう!」と受け取ってみました。
そうしたら、旦那さんから
「お互いの得意なことが違うから、なるべくしてなった組み合わせの夫婦なのかもね」
という台詞も引っ張り出せるぐらいには、いい感じの会話ができて。
#夫婦の意義よ
話しながら、私の中でも“お互いに自分では普通だと思ってるけど、相手にとってはすごいこと”が、
お互いにちょうどカバーできる感じでかみ合っているのかもな、と納得感がありました。
#一昨日のコミュニケーションの話のように
で、その頃にはもう、最初につらつらと書いてみた、気持ち悪いエセ文学みたいな心境からは逃れていて、
ちゃんと目の前の物事に感謝できるようになっていたので、よし抜けたな、って何となく感じられたんですね。
昔よりも自分を理解できたからこそ、こうやって調整していく力をつけられたんだろうと思います。
自己理解を助けていただいた中崎雄心 さん、森長 由起子 さん、平野 麻子 さん、本当にありがとうございます!
こうしてうだうだしている面倒な私ではありますが、それでもそばにいてくださる皆さまとの繋がりに、心から感謝いたします。