心に引っかかっていた物事の正体を見ようと、自分の感情をじっと観察していました。
そうしたら、これは「怒り」だ、と。
私はどうやら、怒っていたようなのです。
【怒りもしっかり味わってみる】
それに気づかないようにしていたのは、怒りっぽい人に対して、嫌悪感があったからでした。
若かりし頃、私の父は短気でした。
怒らなくてもいいようなことで、いちいち声を荒らげていて。
楽しい思い出もあるのに、怖い記憶のほうが強い存在だったんですね。
で、私は「短気な人にはならないぞ」と生きる道を選ぶわけです。
大人になってから、怒りをまき散らす人に、嫌な思いをすることもあり、さらに「私は怒らないぞ」と。
そこで私がうっかりしちゃったのは、怒りの存在を認めてあげられなくなっていたことです!
〈私は怒っていない=怒りを感じていない〉に、しようとしていた。
いちいち怒らないほうが心地よく過ごせるような些細なことは、気にしないですませてもいいのですが。
自分にとって、本当は怒るべき大事なときにも、さも「器の大きな理解ある人」のように見せかけるから、
「別に何とも思ってないけどさ…」とイライラしたり、愚痴をごねたり、変な形で外に出すはめになって。
それでまた「私ちっちゃいなあ、もっと優しくなりたいなあ」っていう、無限ループに入るんですw
あ、今のこれは、ちゃんと、
〈私は怒っている=外に出すか出さないかも含めて、扱い方を決める〉
にしたほうがいいやつだった!
とわかったので、ひとりでめちゃくちゃ怒りました。
それから、自分で消化したいことと、相手に伝えたいこととを分けてみました。
すると、第一次感情と言われる、怒りの陰に隠れていたものが、ひょっこり出てきて。
#今回は不安と悲しさ
心の引っかかりが、わかりやすい形になったので、穏やかに「じゃあ私はどうする?」に進めました。
怒るのではなく、それに対して笑えるぐらいの余裕がほしかったんだ。っていうことも、わかりました。
自分が好きではなかったからこそ、理想の姿になりたくて、いろいろ皮を被ってきたけれども。
これからは、たぶん「脱いでも大丈夫だよ」って、そのままの自分自身を感じていく人生になるのじゃないかな、と思いました。