自分の力の手綱をとる

先日、中崎雄心さんの傾聴を体験させていただいて、気がついたのですが。

私はひとりで思考に潜って、自分にとっての「納得解」を引き出してくる癖が、めちゃくちゃ強かったんです!

【自分の力の手綱をとる】

考えることを楽しみ、日々の暮らしとメンタルを安定させるのには、すごく活きる力なのだけれど、

同時に、一歩間違えれば危険な、とてもバランス感覚が必要な力だと思いました。

自分で自分を納得させられる、ということは、

①それが果たして最適解かどうかはわからないのに、疑うことをしなくなる。

②自分の経験値のレベルでしか、答えを引き出せない。

③主観的になりすぎて、客観的に問題を捉えることができない場合がある。

こんな危険性があるな…と感じます。

たとえば、私の具体的なエピソードでいうと、

「私は、親として“ちゃんとしなきゃ”と思っていた。

そのために子どもを追い詰めてしまったので、“ちゃんとしなきゃ”をやめようとした。

それでも、周りから子育てについて苦言を呈されたとき、私の中に“ちゃんとしなきゃ”が、つい出てきてしまうのは、

たぶん自分の親にそうして育てられて、無意識に刷り込まれているからだ。」

と、結果と原因を結びつけて、納得しているわけです。(①の状態)

でも、本当にそうなのか?

もういい歳をした大人が、いまだに親からの刷り込みがどうのこうの言っている時点で、おかしくないか?(②の状態)

“ちゃんとしなきゃ”をやめなくちゃ、だけに意識が寄りすぎてはいないか?

フラットに捉えたら、私が“ちゃんとしなきゃ”と思うことと、子どもの成長と、実親の子育てとは、

双方向から100%イコールではないかもしれないのに、無理やり繋げているだけなのでは?(③の状態)

――という感じで。

#認知バイアスというやつ

これ自体も、考えて整理していくのは、すごく楽しいです。

納得解で人生が救われることも、確かにあります。

ただ、それを過信しないように、適切に使えるように。

特に、漠然と感じていることではなく、自分の中で考えて出した答えには、偏りがあると気づきにくいのです。

#客観的に考えたと思いがち

#言いわけ探しにも使いがち

自分の持つ力と一緒に、手綱をとれるバランス感覚も、伸ばしていきたいと思います。

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