「先生」というもの

出先で偶然に、先生を見かけました。

長女が年長児クラスのときの担任だった方なので、もう7年前ですね。

保育士の職からは離れたらしいとも噂に聞きましたが、頭に浮かぶ名前は、さん付けにはなりません。

最初に先生として出会ったら、子どもが卒業しようが、退職しようが、私の中では「先生」のまま。

自身の学生生活をふり返っても、先生は「○○先生」のまま変わりません。

大人になったからと言って、呼び方が変わることはないんです。

これって、すごい。

一度「先生」として出会ったら、相手にとっては一生、先生であり続ける、ということですから。

何て重みのある職業なんだろう。

関わりがなくなっても、先生という肩書きは続いていく。

しかも、教え子が生きている限り、何十年間も。

自分が死ぬまで、誰かの「先生」であり続けるんですね。

私は昔から、自分は先生にはなれないと、漠然と感じていました。

職業としての大変さが、その理由だったのですが。

もしかしたら、「先生」のように、一生同じ肩書きを背負い続けることへのためらいがあったのかもしれません。

改めて、「先生」のすごさを認識するとともに、教育に真摯に携わってくださる方々を尊敬します。

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