こんなところに思考の癖がありました

ファミレスに行ったときのことです。

【こんなところに思考の癖がありました】

ドリンクバーで、カップにお湯を注ごうとボタンを押したら、

機械の調子が悪かったのか、ノズルの横から、盛大にお湯が漏れてきました!

カップやグラスが置かれた、ドリンクバーコーナーの台が、みるみるうちにお湯浸し。

慌ててふきんを探すも、近くにはなく。

しかたがないので、離れたところでテーブルを拭いていた、新人風のお兄さんに、お声をかけました。

「ボタンを押したら、お湯が横から漏れてしまって、周りがたくさん濡れてしまって。

ごめんなさい、どうしたらいいでしょう?」

と訊いたら、店員さんは、

「お怪我はありませんか? お洋服とか大丈夫でしたか?」

いちばん最初に、そう尋ねてくれました。

#めちゃくちゃ心配そうな顔してた

私はまったくの無傷で、逆に、ドリンクバーに水害を与えてしまったと焦っていたので、お兄さんが、

「(機械のことは)大丈夫です、いいんです、お怪我がなかったならよかったです」

って、ほっとした表情で笑ってくれたのが、嬉しかったのです。

接客としては当然の対応なのかもしれないけれど、

何より先に、本気で心配してくれたのが伝わってきて、じいんときた。

それで、自分を省みたわけです。

家で、子どもが急に「うわーん!」と泣き出したとき、

「ちょっとしんどいねん…」とうつむいたときの、私の第一声。

「どうしたん? 何があったん? 大丈夫?」

安否確認の前に、理由や経緯を聞いてるんです…!!

「大丈夫?」って確かめてから、何があったか、どんな症状なのか、知ればいいのに。

むしろ、そうしたいのに。

なんで先に、説明を求めるんだろうなあ。

考えてみると、

旦那さん不在の時間が多いから、私が対処しなきゃ、という気持ちが強いのは、あります。

子どもが学校に行けなくなったときも、娘や息子の個性と現状が周知されるまでは、

理由を添えて、遅刻や欠席の連絡をしなければならなかったから、把握しなければ、になっているのかも。

#今は理由を添えなくても

#無理そうです落ち着いたら行きます

#だけで通じる

状況や理由がわからないと、対応できないから、不安だったり怖かったりもします。

理由がないと怒られる、説明しないと納得してもらえない。という、子ども時代の記憶も抱えている。

#言い訳にならないように細心の注意を払いながら

#説明をする感覚を覚えてる

――ああ、その紐づけ、もういらないな。って思いました。

気づいたから、もう、ほどけばいいな。って。

“理由がある”も、“理由がない”も、関係なく、いったんそのまま受け止めて、感じる。

それができるときと、できないときが、私にはあったんだとわかり。

できないときというのが、今はもう必要のない、不安や恐怖に由来していたと知り。

優しい店員さんのおかげで、思いがけず気づくことができました。

お兄さんありがとうございます!!

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