嬉しかった理由を考えてみる

嬉しい言葉をもらいました。

私はあなたを信用している。

その調整能力を高く買っています。

物事をいろんな視点から、客観的に見て判断してくれる人だと思う。

ついぞ仕事でも得ることのなかった、高い価値を見出してもらえたようで。

嬉しくて、その言葉を大切に抱きしめながら、何がそこまでの喜びを生んだのかを考えていて。

思い当たる理由が、2つありました。

1.客観的な他者評価であること

私にその言葉をくれた人とは、家族や友人ほど近しくなく、まったくの他人でもない間柄。

仕事仲間やコミュニティ仲間といった、適度な距離感の相手からの評価だったので、親の欲目のような感情は少ないのではないかと思います。

そのぶん客観的=社会的な印象だから、嬉しかった。

これが1つです。

2.対等な評価であること

育児と家事がメインの日々ですが、まったく評価されないわけではないんです。

ただ、私が普段かけられる言葉といえば、

旦那さんからの「子どものことも家のことも、よく頑張ってくれてるよ」とか。

学校の先生からの「いつもお子さんを送り出していただいてありがたい」とか。

義祖母の送迎係をして、知人から「あなたは運転手がいていいわねえ」とか。

どちらかというと、目上から目下への評価なんですね。

実際に書き出しながら、私は家庭や社会での立場が弱いのだな、と感じました…。

でも、今回もらった言葉は、まっすぐに対等な評価だったから、嬉しかった。

これが2つめです。

若い頃の私なら、すぐに思い上がったことでしょう。

そして、不要な手助けやアドバイスをしようと、出しゃばったに違いありません。

今は、そんな自分を俯瞰で認識できて、求められている役割や守るべき範囲もわかってきたから、きちんと人の話を聴けるようになってきました。

言葉を受け取ったあとの自分を見て、昔よりちゃんと成長できているな、と思えたから嬉しかった。

これは、おまけの3つめでした。

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