理由がないと納得できなかった私が、やさしい世界に引っ越した話

子どもの学校への連絡が、オンライン化されています。

わが家は、いわゆる不登校予備軍な子どもたちなので、学校への連絡頻度の多いことといったら(笑)
不登校歴、予備軍歴、通算8年目になります。

微妙なニュアンスが伝えにくい、やりとりの難しさはあるけれど、連絡そのものは、電話より楽になった部分も大きいですね。

でね、その連絡用のアプリには、いろいろ記入項目があるんです。
欠席か、遅刻か、早退か。その理由、体温や身体症状。

私はいつも、理由の項目では「その他」を選んで、
気持ちを休めたいため。疲れがとれていないため。学校での○○が気がかりだそうなので。
今日は何時に登校するだとか、欠席するだとか、理由を込みで記述していました。

理由がないと、休むこともままならないんだなあ…
と、ため息をついた日も、数知れず。

電話の時代も含め、それを何年か続けてようやく、
「今日は休みます」「遅れます」「○時に早退します」
理由を添えずに、記入できるようになったんです。

真摯に対応してくれる先生に申し訳ない、ごめんなさいな気持ちも、和らいできた。
学校の先生方が、子ども本人のペースを理解して、尊重してくれているおかげです。

すると、すごく楽なんだけれど、同時にすごく心もとない、と感じました。

そのとき、
「ああ、私自身が、理由がないと納得しない世界に生きていたんだな」
って、わかったのです。

子どもに「あなたが好きに決めていいよ」と言いながら、
心の奥では、誰より何より、自分が納得していなかったんですよ。
だから、正当だと考える理由なく休むことが、自分もできなかった。
たぶんきっと、子どもにも許せていなかった。

「疲れてるから、できない」
「気分が乗らないから、やりたくない」
そういう自分の気持ちを、自分で受け入れられるようになって、
人に対しても「そんなこともあるよね」と思えるようになったのは、子どもが不登校だったおかげなんですよね。

子どもの「学校行けない」から、本当にたくさんの恩恵を受けている私です。

今は、理由を添えて伝えることは、その人のやさしさなんだ。
そう思うようになりました。

義務とか、自己正当化のためじゃなく、
相手が状況を理解しやすいように差し出す、コミュニケーションのひとつだと。

そうしたら、ずいぶん過ごしやすくなりました。
やさしい世界に生きています。

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