永遠の愛、なんて

少女だったころ、憧れていました。

永遠の愛。
そのようなものが、あるのか、ないのか。
物語の数だけ、答えがあったような気がします。
わたしが読んでいたものは、だいたいハッピーエンドだったけれど。

永遠の愛。
もしもいま、子どもに尋ねられたら、わたしはまず、こう聞くでしょう。
「そもそも、永遠ってなんだと思う?」

少女だったころのわたしの永遠は、変わらないこと。
大人になってから思う、ほんとうにまったく変わらないものなどない、と。

では永遠の愛がないのかと問われれば、そうでもなく。
人間の言う「永遠」というのは、個人視点の結果論だよね、となる。
今この瞬間、が続いた結果、観測している地点で未来を予想するとき、
永遠と表現するのが、どうやら最適解だな、という感覚。

あると定義すれば、ある。ないと定義すれば、ない。
どこで、なにに永遠を見出すか、見出さないかは、自由なので。
「あなたがそう思うなら、そうなんじゃない?」
尋ね返したあげくに、そんなことを言うのでしょうね。

少女だったころのわたしは、永遠の愛とは、
赤い薔薇に象徴されるような、激しさと美しさをもっているもの。
外側から与えられるもの。だと思っていたっけ。

いまのわたしは、たとえば家族に対する愛情は、
たぶん永遠に近いものだと思われるけれども、激しくも美しくもない。
どろどろと穏やかで、凡庸なときめきをもった、
自身の内側にある、なんでもない幸せの続き。

--最近、少女だったころの本を読み返してみて、
変わらない本を眺めては、読む人の感性は変わるものだね、などと。
昔もいまも、わたしという変わりがない人間の、変わりゆく物事を、
おもしろいなあと思っては、あれこれ思考をめぐらせるのでした。

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