記憶のひきだし

稲刈りを終えた田んぼから、鳩がいっせいに飛び立った。
ばささっ、という羽音とともに、滑らかな曲線を描きながら。

空に並ぶ鳥影を見て、ふいに「大造じいさんとガン」を思い出す。
国語の教科書で読んだのは、はるか昔のこと。
ちいさな挿絵の中に、似たような構図があった気がする。
いや、これは鳩だけど。

見上げた空は、雨がやんだばかりの、まだ灰色の雲だらけ。
真ん中にひとすじ、やわらかな薄いピンクの光がさしていた。

次に思い出したのは、むかし家で読んだ絵本。
タイトルは、もうわからない。検索にかけても、出てこない。
おしゃれなねずみだったか、おばあさんだったかが、
毛糸でセーターだったか、マフラーだったかを編むのだけど、
そのときの色あいのひとつが「グレーとピンク」だった。

へえ。グレーとピンクをあわせるのって、おしゃれなんだ。
幼心に、意外だなあとびっくりしたので、いまでも覚えているのだろう。

なんでもない風景で、思わぬ記憶のひきだしが開く。

記憶と思い出とが、ごちゃごちゃと詰めこまれたひきだしは、
どこに何があるのか、さっぱりわかりゃしない。
死ぬまで二度と出番のないもののほうが、きっとたくさんある。

自分の家の、物の入ったひきだしは、いるものといらないものを
わたしが決めて、捨てることも並べることもできるけれど。

記憶のひきだしは、整えることなんてできないまま。
せいぜい、感情を整理するぐらいが、関の山だ。

自分でも忘れていたような有象無象が、ときおりあらわれる瞬間は、
いつ体験しても、まるでわたしが零から何かを生み出したようで、
生きるということ自体が、表現的な豊かさなのだなとうなずいている。

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