ああ、アニメが好きだった。
そんな頃の情熱を思い出しました。
「ハケンアニメ」という概念は、知りませんでしたが。
香屋子が、瞳が、和奈が。
葵が、杏樹が。男性キャラも。
どの仕事ぶりも大好きで、アニメに関わっている人たちが、限りなく愛しい1冊です。
和奈の、リア充と繋がっていくところの心情は、まさに思い上がっていた昔の私そのもので。
でも、もしも宗森のような人がいるのなら。
「アニメにかかわる人たちはみんな、僕と違ってとても豊かだから」
「リアルしか充実してない僕と違って、リアル以外の場所も豊かに――どう言ったらいいかな。深く、土壌が耕されてるっていうか」
そんなふうに言ってくれる人が、いたのだとしたら。
自分から壁を作らずに、もっと関わってみたらよかったなあ。
最後にすべてが線になって、集まった瞬間の感動は、たぶん作中で彼女たちが感じたのと同じぐらい、私も幸せでした。
嬉しい意味で、私が頭を殴られたような衝撃を受けたのは、第1章の記者会見での、王子の台詞でした。
「あのさ、世の中に普通の人間なんていないよ」
と、王子は言います。
俺、古いタイプの人間だから。オタクって言葉をファッション的に使えるほど大人じゃないよ。
俺世代にとって、「オタク」は後ろ指さされるように呼ばれる言葉だった。
そうだ、私もそんな時代を生きてきたオタクだった。
だけど、だからこそ、心底伝わってきます。
アニメは、それを観た各自のものだよ。そこじゃもう、作り手のことなんか関係ない。
俺が作った「リデル」を、俺以上に愛してくれる人はいるし、俺の作品に一番詳しいのは俺じゃなくていい。
それは、そこに一番愛情を注いだ人のものなんだよ。設定だって、キャラのその後だって、全部それは観てくれた人が自由に決めていい。
一人でできる楽しみをバカにするやつは、きっといつの時代にも一定数いる。
(中略)
誰にどんなにバカにされても、俺はバカにしない。
言ってみれば作者だし、業界の事情内部の人間から言われても説得力ないかもしれないけど、
君のその楽しみは尊いものだと、それがわからない人たちを軽蔑していいんだと、
大げさでなく、アニメに助けられて生きた10代の時期を、世間から肯定してもらえた気持ちになりました。
私が社会に関わるときは、こんな人たちのように、仕事がしたいです。