魔法の言葉

知識が知恵になる瞬間って、何度体験しても、わくわくします。

いつものように、家の掃除をしていたときのこと。

子どもたちがずっと家にいるので、自分のペースで家事ができないことが、小さなストレスになっていました。

手抜きしながら過ごすといっても、やらなければ家が回らないことも、最低限整えておきたいことも、主婦にはありますよね。

肩に力が入った状態が続いているな、と自覚していて、体をほぐしたり動線を見直したりしていたところでした。

ふと、頭の中に、言葉が閃いたのです。

「ほどほど、きれい」

それは蕾が開くように、飛んだ綿毛が舞い降りるように、ごく自然に脳裏に浮かび、すとんと体の奥に落ちました。

ああ、そうか。我が家は、ほどほどにきれいな家で、いいんだ。

またある日、たまたま素敵な鞄を見かけたときのこと。

いいなあ。今の鞄はお気に入りだけれど、もう一回り大きいものも、使ってみたいなあ。

買い物欲がふんわりと頭をもたげたとき、空から声が降ってきました。

「今あるもので、私は十分」

その通りだ。私は今、充分に足りていることを知っているはず。

どちらも、ありふれた言葉です。

先人たちには嫌というほど語られているし、私もたくさん聞いてきました。

けれど、ただ言葉を知っていることと、それを自分のものにすることとは、まったくの別物です。

この「昇華」というべき感覚を味わえるのは、人生の贅沢ですね。

千田琢哉さんが「乱読をしても睡眠中に整理され染みこむ」の項目で言っていた、

情報が日々の睡眠中に整理整頓されると、最終的には知恵になります。

どこの誰が書いていたのかなんてとっくに忘れていますが、圧倒的な量を読み続けていると別の誰かが繰り返し書いてくれていることに気づかされます。

同じことに無数の角度から光を当ててもらうことによって、睡眠中に記憶に刻まれ続けていくのです。

こういった積み重ねの上に、そのとき自分にいちばん必要な言葉が、魔法のように降りてくる瞬間があるのでしょう。

言葉に助けられるたび、本を読んでいてよかったな、と思います。

次の出会いが、楽しみです!

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