「あした死ぬかも」と思ってみる

あした死ぬかもよ?」に書かれていた、27の質問に答えながら、数日間過ごしてみました。

明日、死ぬかも。今日が最後かも。

そう思うと、不要なことは自然としなくなるし、ひとつひとつの行動が丁寧になります。

怒りや不安や、憎しみや悲しみに囚われていることがもったいないと感じて、心が穏やかになります。

すべては「命あってのもの」なんだなあ、と実感しますね。

自分でもちょっとびっくりだったのが、最初の「5分間目を閉じて、本当に死んだつもりになって、人生最後の日、最後の瞬間の気持ちを想像してみる」質問でした。

しつもん0 人生最後の日、なにに泣きたいほど後悔するだろう?

こたえ0
子どもたちへ。大好きだよ、大丈夫だよ、ありがとう。
もっと一緒にいたかった、もっと見ていたかった、もっと大好きだよって伝えたかった。

私は欲深い人間だし、未練たらたらだろうと予想していたのに。

浮かんできたのは、あれがしたかった、これがしたかった…じゃなくて、ただただ「子どもたち」だった。

だから、

しつもん23 もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていたことをする?

これ、朝から家事をしながら、ひとつひとつ問うてみたんです。

私は家事は好きではないし、むしろ必要に迫られて、「好きになろう」「楽しもう」としているぐらいですし。

だけど、やっぱり、明日死ぬのだとしても、子どもたちにいつもの暮らしを…と思うから。

掃除して洗濯してごはん作って、帰ってくる我が子を笑顔で迎えられるように、変わらず家事をしているんです。

ちょっぴり手をかけたごはんを作ろうかな、子どもたちの好きなものを作ろうかな…って、いつも嫌になるごはん作りが、むしろ丁寧になるぐらい。

そして、子どもたちが帰ってきたら、その姿を、表情や声を、心に焼きつけるように見ておきたい。

しつもん21 では、明日死ぬとしたら、なにをしますか?

で答えたように、

こたえ21

子どもたちを抱きしめて、

「大好きだよ。ありがとう。お母さんは幸せだよ。あなたたちは大丈夫。少しだけ先に行って待ってる、また会おうね」

と言って、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に眠る。

そんな1日を過ごすと思います。

実は、明日死ぬならあれもこれもしたかったと後悔して、もっとアクティブな自分になるんじゃないかと考えていました。

確かに、やりたいと思ったことはやってみよう、という気持ちにはなったけれど。

それ以上に、子どもたちとの暮らしを大切に、穏やかに過ごすことが、今の私の「本当の願い」のようです。

だからこそ、

しつもん15 最近、どんなことで人から「ありがとう」って言われましたか?

これまでの人生は、人に喜ばれるような人生でしたか?

あなたが生きることで幸せになる人はいますか?

最初の2つは、実は思いつかなくてショックだったんですが(笑)。

最近、挨拶代わりでなく、感謝を込めて「ありがとう」って言われたのは…旦那さんの書類を作ってあげたときぐらい?

今までの人生だって、親や家族や仲良しの友達は、まあまあ喜んでくれていると思うけれど、世界に向けては何ひとつできていません。

それでも、私が生きることで幸せになる人は、

こたえ16 家族

これだけは、間違いなく自信を持って、答えられたから。

子どもたちが巣立つときに、「生んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」と、心から感じてもらえるような子育てをしていこう、と思いました。

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