「折れない心」がほしいです。
鋼のような太い心じゃなくていい。
しなやかに、また戻ってこられる力がほしいです。
本書では、折れない心を作るためのレジリエンスを発揮する指南として、アドラー心理学を解説しています。
レジリエンスって、聞き覚えがあると思ったら、これか!
内田さんは「心の自然治癒力」と表現していました。
今回の和田さんは、「逆境をたくましく乗り越える力」「逆境や強いストレスがあっても元に戻れる力」と書いていて。
「必要なのは、竹のようなしなやかさ」だと言います。
まさに、私の理想!
長女のカウンセリングの先生から聞いた、調整力と同じことですね。
以下、興味深かったところをメモ。
「楽天主義」と「楽観主義」
2つの違いは、
- 楽天主義…目の前の現実に目を背けた上で「大丈夫だ」と思うこと。
- 楽観主義…目の前の現実を直視し、「大丈夫かどうかわからないが一生懸命やってみよう」と思うこと。
なるほど、わかりやすい!
現実を見ているかいないか、建設的な行動ができるかどうか、の違いかな。
「なんとかなる、大丈夫」と考えるようにしていますが、目の前に火事が迫っていても「大丈夫だよ~」と座っていたら死んでしまいますから(笑)。
生き延びる術を考えて動きながら「大丈夫、きっと助かる!」という心でいることが大切ですね。
これは自分に対してだけでなく、相手に対しても同じで、
- 楽天主義…「あなたならできる!」とハッパをかける
- 楽観主義…「結果はわからないが、できる限り一生懸命やってみよう!」と、今その人ができることを精一杯やることを後押しする。
並べてみると、違いが一目瞭然です。
後者は、アドラー心理学では「勇気づけ」と言われるのだそう。
子どもへの声かけも、ただの能天気なハッパにならないよう、気をつけたいと思います。
「自己肯定」と「自己受容」
アドラー心理学では、
- 自己肯定…自分は(できなくても)できると言い聞かせる
- 自己受容…できない自分を受け入れる
と定義されています。
今よく言われる自己肯定感というのは、この「自己受容」に当たるようです。
そのために必要なのは、人間関係を縦から横にすること。
- 縦の人間関係…力で相手を支配する上下関係。上に認められることばかりを追求し、自分らしさを損なう。
- 横の人間関係…経験や能力の差はあるが、それは上下や優劣ではない。尊厳レベルの違いはないので、ありのままの自分でいられる。
アドラーは、親子関係にすら上下はないと言っているそうです。
「子どもを一人の人間として尊重する」というのは、この横つながりを意識すると、やりやすそう。
その横の人間関係の延長線上に「共同体感覚」があり、欠かせない3つの姿勢が、
- 他者信頼…仲間である他者との関係を条件付きの信用ではなく、無条件の信頼を軸に考えること。他者を信頼している気持ちは他者貢献にもつながる。
- 他者貢献…仲間である他者・共同体に貢献すること。「自分が役に立っている」気持ちは自己受容にもつながる。
- 自己受容…できない・ダメな自分も含めてありのままを受け入れること。
です。
自分にも、子どもたちにもあってほしいと望み、「自己肯定感を育む」と呼んできたそのものの姿だと、感動しました。
課題の分離
例に挙げられていた、「機嫌の悪い相手に対して、その機嫌を取ろうとする」。
私がもっともやりがちなことです。
機嫌を直すかどうかは、相手の課題。
相手が私をどう思うかは、相手の課題。
怒られたり嫌われたりしたくなくて、おろおろしてしまう私にぴったりの言葉でした。
他人からの評価にふり回されないためにも、身につけたい考え方です。
「目的論」と「原因論」
これも、おもしろかったです。
- 原因論…人間の行動を過去の原因によるものだとする理論。行動を“原因”にさかのぼって考える。例:学歴がないから(原因)頑張っても認められない。
- 目的論…人間の行動をその人の目的達成のためだとする考え方。行動をその“目的”から考える。例:頑張るのがしんどいからそれを避けたいため(目的)の言い訳に低い学歴を持ち出す。
この考え方でいくと、怒りっぽい性格も、実は「相手に言うことを聞かせるのに有効だ」とわかっているから怒るのであって。
変えられない性格なわけでも、頭ではわかっているのに心がついていかないわけでもなく、「手っ取り早く言うことを聞かせる」という目的のために怒っている、いうことです。
自分の「人生の嘘」に気づくためにも、有効な理論ですね。
「どもりだから人前で話せない」→人前で話したくない正当な口実を作っている。
「一度失敗したからできない」→いつも失敗すると思い込み、チャレンジしないことを正当化している。
これらのもっともらしい理由も、「人生の課題から目をそらす」目的で使われているのです。
絶対、私、やっていますね…気をつけよう、本当に。
この目的論の発想を理解することで、逆に、
目的さえはっきりしていれば、その達成にいたる手段は無限にあることに気がつき、一度失敗してもすぐ立ち直れる。
というレジリエンスを、身につけられるわけです。
「全体論」と「要素論」
前述の怒りのように、「ついついやってしまう」「わかっていてもやめられない」という、理性と感情・意識と無意識などのように物事をわけて考えるのが、要素論。
これだと、感情や無意識に突き動かされた行動を、調整することはできません。
一方、アドラーの全体論では、「ある目的のために自分のなかの感情や理性などを総動員した結果、ある行動を選んだ」と考えるので、調整することができるのです。
読んでいて、「原因論」「要素論」は精神分析、「目的論」「全体論」は認知行動療法、という印象を受けました。
アドラー心理学、おもしろそうなので、もう少し深掘りしてみたいです。