「がんばらない成長論」に、「『セーフ』の領域を広げよう」と、書いてあったのですが。
自分では無意識でも、人はいろいろな先入観や強迫観念に従って生活しているものだと思います。
(中略)
だから、たとえば、いつもきっちりとこなしている仕事を、少しルーズにしてみる。
もちろん、「やっぱり私は、きちんとするのが好き」と思ったのなら、また、きちんとしたあなたに戻ればいいでしょう。
とはいえ、すべて元どおりにはなりませんよ。
なぜなら、いったんルーズにしてみたことで、あなたは、もうわかっているはずだからです。
「きちんとするのも好きだけど、きちんとできないことがあっても、いいんだ、それも楽なんだ」と。
これは、なかなかに魅力的なフレーズでした。
で、さっそく次の週末に、やってみました!
「お母さんは明日、のんびりします!」
金曜日の夜。
家事をすべて終えたあと、子どもたちにそう宣言して、だらだらと本を読んだり、一緒にゲームをしたり、たまの夜ふかしを楽しみました。
翌、土曜日の朝。
目覚ましをかけずに起きて、子どもたちとゴロゴロします。
朝ごはんは「あるもの食べてー」と、適当発言。
いつもなら、ハタキかけからスタートする掃除も、お休み。
…しかし、埃と食べかすが気になる…。
見える場所だけ、フローリングワイパーをかけました(笑)。
午後は、子どもたちと散歩に行って。
帰って、面倒だったらカップ麺を出そうと思っていましたが、意外と余裕があったので、作りおいていたハンバーグを、ホットプレートで焼きました。
そしてまた、夕食の片づけと、夜の洗濯だけ終わらせて、だらだらとゲームにおやつ。
私なりの、手抜きデーを過ごしました。
がんばらない翌日
ごはんの手抜き具合は、ちょうどよかったみたいです。
やらないことを気に病むでもなく、片づけも楽だったし。
ただ、掃除は…部屋の隅のあちこちに、埃と剥げた畳の屑が落ちていて。
廊下は、剥がれ落ちてくる砂壁の砂でざらざら。
朝から気分が下がったので、フローリングワイパーは、きちんとかけた方がよさそうです。
洗濯は、明日の自分のために、溜めるのはやめましたが、早い時間に終わらせるようにしたのが正解で。
あとでのんびりできると、私も子どもたちも嬉しい。
夜ふかしは、翌日に何も予定がなければ。睡眠時間がきちんと確保できれば、楽しめます。
「がんばらない」を頑張ってみた感想は、こんな感じでした。
でも、これで「がんばらない」になってるのかな?
本当に、前と何か変わったのかな? と、半信半疑だったのですが。
翌週の掃除が気楽になりました
やっぱり、砂壁やクモの巣が嫌だから、毎日掃除はするのですが。
向き合う心持ちが、「掃除しなくちゃ」から「もしできなくても、まあいいか」に変わっているのが、わかりました。
できなくても大丈夫、と思っていると、結果的には、余裕をもって取り組めるので、つらくない。しんどくない。
「がんばらない」とは、行為をやらないという意味ではなく、しんどい思いを伴う行為をしない、ということだったのか!
…考えてみれば、あたり前のことなのですが、ようやく腑に落ちた私でした。