料理が苦痛だ(本多理恵子)

はい、その通りです!

「作り続ける料理」「考え続ける献立」は、「愛情」の前に「日常」だ。

(中略)

料理とは「愛情」の前に、たった一人で毎日直面している「日常」だ。

うなずきながら、読みました。

料理は苦手だし、面倒だけれど、食べられないものを作るほど下手なわけでもないし、やる気に満ちあふれるときもあるのです。

つらいのは「作り続ける」ことなんですよね。

私にとっては、家事全般に言えることかもしれません。

ひとつひとつの作業は、できないわけではないし、まったくやる気がないわけでもない。

ただ、毎日毎日終わらずに続いていく、掃除・洗濯・料理…。

今日の分が終わっても、また明日は明日の分があると思うと、ものすごくしんどくなるときがあります。

休みたいけれど、皺寄せは結局、全部自分にきてしまう。

誰かが代わりにやってくれるわけではない。

どうせしなければならないならと、家事を楽しめるようにしたり、簡略化してみたり、いろいろ試してきました。

うまくいくこともあったし、どんな工夫をしてもすべてが嫌になることも、やっぱりある。

そんなときに、この本に書かれているように「やめてみる」という選択肢があるのなら、それもやってみる価値はありそうです。

だからまず、怖がらず、いったん「作り続ける料理」をやめてみよう。

作るのをやめると、そこからわかることがある。

そしてそこから初めて「これなら作りたい」料理に出会えるのだと思う。

料理はもちろんなのですが、ほかの家事にも、仕事にも当てはまるのではないかな、と感じました。

これまでは、家事時間が楽しくなることを重視して、いろいろ試みましたが。

ときには、思いきってやめてみようかな!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする