書くことや話すことがなくなったら、私はどうなるんだろう?
【毎日続けることについて考えてみる】
このFacebookでの日記と、Standfmでのおしゃべり練習が、なんだかんだと日々続いておりますが。
いつか、書くことや話すことが尽きるだろうな、と思っています。
吸収するインプットの時間より、こうして外に出すのに使うアウトプットの時間のほうが、今は明らかに多いからです。
で、私の性格上「毎日続けるぞ!」と決めると、いっぱいいっぱいになって挫折するので、あえてそうと決めずに始めました。
ただ、物書きを目指していたはしくれとしては、やり始めたら毎日やらなきゃな、という気持ちは強くなりがちで。
ネタがないときに、無理やり絞り出そうとしがちです。
#作家になりたい症候群あるある?
でも、そういうときの私から出てくるものって、たいがいつまらないんです。
#これがまた残念な現実
もちろん、限界に挑戦することで生まれる奇跡的なおもしろさもあるので、その努力自体は大事です。
私の場合はそうであるというだけで、むしろ限界突破から芸術を生み出す作り手さんも多いでしょうし。
自身も書き手としては、常に吸収・消化・放出の三本柱に、意識を使っておくべきである、とも思います。
ただ、こと「毎日続ける」という点で考えると。
私の今の目的は、自分がよりよく生きるためで、自分がここにいること誰かに幸せになってもらうため。
であれば、毎日続けるぞ! が第一ではないんですね。
特に今は、作家や芸術家や噺家になる鍛練をしているわけではないのだから、
日々の暮らしをないがしろにしてまで、何かを表現し続けることを目指して、自分を追い込むのはちょっと違う。
むしろ自分の心身を健やかに保たなければならないし、そばにいる人たちにまず心を砕かなければならない。
それができないのに、存在だけで見知らぬ誰かを幸せにできるわけがない。と思うのです。
だから、書くことや話すことがなくなっても、焦らずに。
もしもからっぽになったら、また吸収すればいい。
マイペースに楽しみながら。これが私の現在地です。
#と自分に言い聞かせているw