私がモヤモヤするときって、だいたい“責任を持ちたくないとき”だ!
と、気づいてしまったお話です。
【モヤモヤが教えてくれたこと】
モヤモヤの始まりは、自分では動かせないことに、心を囚われている状態なんですね。
たとえば、人の気持ちや価値観。
その人その人固有の思いは、私がどうにかできるものでも、どうにかするものでもない。
ただ、その思いを具現化する手法や行動は、同じ世界に生きている以上は、
歩み寄ったり距離をとったり、お互いの落としどころを探ることはできるんじゃないかな、と。
#できなかったら地球崩壊
そうして、自分の抱いているモヤモヤを解消すればいいのだけれど、
するときとしないときがあるのが、私の現実。
なんでなのかなって突き詰めたら、どうやら、
「責任を持ちたくないから、主体的に関わらない」を選んでいるようなのです。
で、モヤモヤを後生大事に抱えては、まるでそれが相手のせいであるかのように、嘆いたり疲れ果てたりしている。
不毛な状態から抜け出すには、潔くあきらめるか、責任をもって関わるか、モヤモヤと共存する道を探るか。
…ぐらいしかないかなあ。
#だからときどき
#モヤモヤくんと脳内会議をしているw
で、何が嫌かって“モヤモヤを抱えきれない私”が嫌なんです!
周りのすべてに責任を持って関わるのも、すべてをあきらめるのも、私にはできないので、
モヤモヤを抱いたままで、共存を探る場合も、たくさんあります。
自分がそれを選んだのに、抱えきれずに、イライラや愚痴という形で、周りに投げちゃうときが、すごく嫌。
「自分でなんとかしなさいよ」と、脳内の自分に、ハリセンをかましたくなる!!
――でも。
もしこれが、同じように悩んでいる仲のいい人に対してだったら、
「そんなに悩まなくていいよ」
「一緒にモヤモヤ抱えようか?」
「話して楽になるなら聴くよ」
って、思うんです。
#自制は大事だけども
#なんか矛盾してる!
私の課題は、モヤモヤをどうにかすることじゃなくて、
“自制しつつ、自分にも優しさを向ける塩梅を探る”
な気がしてきました。
心地よく過ごしたいから、ちょうどいいバランスを見つけたいです。