不自由さを思い出してみる

最近なんだか、幸福感が少ないな。

愚痴っぽいな。感謝不足だな。

そう感じたときは、自分が不自由な環境に置かれていた頃を、思い返します。

私の場合は、主に妊娠時から育児初期ですね…。

吐きづわりで食べ物がまったく喉を通らなかったこと。

ようやくごはんを「おいしい」と思えたとき、幸せだったなあ。

3人とも切迫早産で、絶対安静の入院生活だったこと。

点滴が外れて、あの棒を引きずって歩かなくてもよくなった解放感。

自分の足で歩いてトイレに行ける喜び。

自分の体なんて洗う暇も、ゆっくりトイレに行く時間も、ごはんを食べる余裕もなかった、怒涛の乳幼児期だったこと。

ひとりでお風呂に入れる、ひとりでトイレに行ける、温かいごはんを温かいうちに食べられる…何もかもが新鮮で嬉しい。

子連れ外食できるようになっても、抱っこしたまま片手で食べられるワンプレートか、取り分けるためのうどんばかりだったこと。

自分の好きなものを選んで食べられる、食後にホットドリンクを飲める…なんて、幸せの極みでしかない。

一度幸せのハードルが下がったあと、再体験するものはすべて、なんでも幸せでした。

「ああ、人としてちゃんと生きている」という幸福感と、感謝の気持ちがあふれていた。

だからときどき、昔の不自由さを思い出すことにしています。

そうすると、今がどれほど幸せか、じっくりと味わうことができるので。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする