平野 麻子 さんのヒューマンデザイン鑑定を受けてから、1ヶ月半ほど経ちました。
仙骨生活、まだまだ弱いですが、しっかりとアフターフォローをいただいております。
【私の目に映る、平野麻子さんの世界】
平野麻子さんは、私がとりとめなく感じたこと、なんだかすっきりしないことなどをお話しさせていただくと、
まるで水面にそっと小石を投げるように、問いかけてくださる。
的確な場所に、正確に投げられた小石は、波紋を呼び起こします。
私は否応なしに揺らぎ、小石が投げ入れられた場所に深く潜って、さらに自分自身を知ることができる。
そんな感じで、めちゃくちゃ助けていただいています。
語りの空気感が、すごく心地よいなあと思っていて。
最近気がついたのですが、私にとって、京極夏彦さんや森博嗣さんの小説に似ているんです。
読んでいると…つまりお話ししていると、そちら側に引き込まれて、世界と自分の境界が溶け合うように曖昧になって。
今まで「これが自分だ」と確信していた物事って、何をもってして自分だって言えるんだっけ?
と、茫洋としてくる。
そして、ちゃんと最後のページを閉じたとき――語り終えたとき、しばらく間をおいて、ゆっくりと「自分」が帰ってくるのだけれど。
それは確かに私なのだけど、読む前の、お話しする前の私とは、確実に違う「私」になっている。
その感覚が、すごく好きなんだなあ…って思いました。
また、自己理解は「名づけ」なんだな、っていうのも感じています。
わからなかった自分自身に、名前をつけてあげるような。
他人に対して「このタイプだからこうでしょ」と先入観を持つのは、ラベル貼りであって、名づけではない。
それなのに、私みたいな素人に限って、わかったつもりでラベル貼りをやりがちなんですよね。
#すごく気をつけています
で、ヒューマンデザインって、情報量がすごく多いので、ちょっと理解したぐらいで、他人に向けられるものじゃないんです。
鑑定士さんの力を借りて、ひたすら自分に向き合っていく。
京極夏彦さんや森博嗣さんも、同じ難解な美しさを持っていて、
少しばかり文章が書けたところで、どうあってもたどり着ける境地ではないんですよ。
ひたすら読んで、没入する。
そんなところも、似ているなって思っています。
平野麻子さんの鑑定、アフターフォローもお勧めです!