久しぶりに、SF小説を読んでおります。
【私とSFの話①】
SFは、情報量が多く、理解に時間がかかるため、ゆっくりと読みます。
娘に、
「まだ全然謎は解けてないんだけどこんな感じで、世界が滅亡したのかどうなのかわかんなくて…」
と、物語を必死に説明していたら、ふと尋ねられたのです。
「そういえばさあ、ノストラダムスの大予言って、昔あったんでしょ?
あれ、世界はどんな感じだったの?
やっぱり滅亡モノみたいに、暴動とかパニックとかあったの?」
って。
うん、ごめん!
少なくとも私の周りでは、まったくなかった!
#彼女が想像するような物語はひとつもない
当時大学生だった私たちには、せいぜい、
「滅亡後に予定されているテストの勉強をするか否か」
ぐらいの問題しかなかった!
ノストラダムスの大予言が、もはや空想小説と同等の扱いになっている…。
時の流れを、体感します。
この感覚が、おもしろいなって。
私にとっては、実体験の現在。
娘にとっては、空想の過去。
私にとっての現在は、誰かの過去で、誰かの未来。
一定の方向へと流れる時間を、流れて生きているから、自身のいる場所は変わらなくて。
どの時点で、どの視点から切り取るかで、名称が変わるのって、
よくあることだけれど、めちゃくちゃおもしろいと思うのです。
昨日・今日・明日、みたいな時間に関する事柄だけじゃなくて、
私・あなた・彼・彼女、とか。
裏・表、とか。右・左、とか。
自分の立場も、女性・母・妻etc…と変化し並列する。
“時間”という、大きな一定の流れの中で生きているのに、
切り取り方次第で、どんな世界をも描ける力を、人間は持っているんですよね。
悠久の時の流れを意識すると、壮大な映画を見ているような気持ちになります。
おもしろい! のですが、そこを味わい始めると、
科学と哲学の迷宮に踏み入りそうなので、今日はこのあたりで止めておきます。
#日常生活に支障が出るw