学校や教室に行きづらい長男長女は、学校行事にも参加できるものとできないものがあります。
かれこれ4年間ほどサポートしてきて思ったのは、「学校に行くか行かないかは、子どもの自由」なんですよね。
「行きたい」「行けない」「行きたくない」「行くべき」…いろいろな思いや考えがめぐり、周りからもあれこれ言われ、本人も親も悩みますし。
親として、義務教育相当の教育を受けられる環境を整えるべきではあります。
でも、それは必ずしも、「学校に行かせる」とイコールではないので。
学びの場を選ぶのは子ども自身で、私ができるのは、サポートとアドバイスだけです。
――という考えでいくと、学校行事も、参加するしないは子どもの自由。
私はその都度、子どもの気持ちを聴き、親の気持ちを伝え、ひとりの人間として尊重しながら一緒に考えたり、支えたりしていくわけです。
親って不思議で、我が子には「みんなと同じ思い出を」と思って、学校行事への参加を望んでしまいます。
けれど、ふり返れば自分だって、いい思い出の行事も嫌な思い出の行事も両方ありました。
で、嫌な思い出は、大人になってから何かしらプラスの理由づけをすることはできるんです。
「あれがあったから今がある」のように。
でも、それは決して、「あのときみんなと一緒で楽しかった」には結びつかない。
だから、もしも行事を休んだ我が子が、「やっぱり参加すればよかった」と思ったとしても、それは子ども自身の課題です。
自分で考えて決めたことがいまいちだったということ。
だったら、次回に向けて改善すればいいだけのこと。
親が「参加するべきだよ」「しておいたほうがいいよ」と、心配してあれこれ口を出して決めさせるものじゃない、と思うんです。
アドラー心理学の、課題の分離ですね。
介護の研修で、自立とは「自己選択・自己決定・自己遂行」だと習いました。
子どもを自立に向かわせるための子育てなのに、親のフィルターがかかると、「気づかずに」「よかれと思って」干渉してしまう。
今の長男長女には、もう手取り足取りのサポートはいりません。
自立が子どもの課題なら、私の課題は、環境を整えて見守ること。
ただそれだけだと、改めて自分に言い聞かせました。