わが子の、不登校サポートをしてきて、8年になります。
子どものためにとは言いながら、実のところ、
自分の持っている感情や価値観に、しっかりと向き合わせてもらった期間でした。
今はかなり落ち着いて、社会と関われている状態なので、
この機会に、私が向き合ってきたものについて、言語化しておこうと思います。
【不登校で向き合ったもの①―怒り―】
私は、怒られるのが怖いで、怒られる事態は、とにかく避けたい人です。
私の“怒る”とは、上下関係があるもの。
怒られる側が悪くて、怒る側は強い。という認識でした。
ここで、すでに引っかかりがあって…。
“悪い”と“強い”は、対義語じゃないんですよね。
なのに、自分の中では、対立構造になっていました。
「私は間違っていないし、か弱くもないと思うけれど、
怒られるような事態にしてしまったのは、私が悪い」
「悪いものに対して怒るのは、当然の感情で、
論理的に間違っている場合もあるし、解決策になるとも限らないが、
怒りを発するエネルギーは、抗えないほど強い」
その縛りがあって、長らく恐れを抱えていました。
#今もなるべくなら
#怒られないように立ち回ろうとする癖がある
で。
私が子どもの頃から怒られてきた、怒られると思うのが、どんなときかというと、
“あたりまえ”ができないとき。
#人の話を聞くとか
#時間を守るとか
#学校に行くとか
#などなど
ということは、私は、
自分が“あたりまえ”だと思っていることができないと、自分にも相手にも、怒りが生まれる。
と考えているんじゃないだろうか。
そして、不登校と向き合うことは、
自分の“あたりまえ”を塗り替える作業の連続でした。
この塗り替えのおかげで、怒りという感情が、実に主観的なもので、
だからこそ大切なサインになるし、必要以上に恐れなくてもいいんだ。
そう感じることができました。
☆②に続く☆