子どもの通う小学校では、毎年冬になると、
人権についての作文を読んで、感想を話し合う。
という、授業参観があります。
【枠から飛び出す】
人権といっても、差別や戦争といった社会的なものばかりではなく、
友達や家族との間にあった出来事から、コミュニケーションを考えるようなエピソードも。
クラスの代表の子が、みんなの前で、自分が書いた作文を読み、
ほかの子どもたちが、手を挙げて、感想を発表していきます。
これを聞いているのが、好きなんです。
私も、作文に対しての感想は、何かしら浮かぶけれども、
無意識に、求められているだろう答えを探している自分が、いるんですよね。
「○○を伝えたい作文なのだから、このことについての感想がいいだろう」
「先生がこの授業で期待しているのは、こんな回答ではなかろうか」
など、考えながら感想を組み立てているわけです。
思い返せば、学生時代は、ほぼそうだった気がするな…。
#だから社会人になってつまづいたのは
#あなたはどうなのか
#どうしたいのかと言われたとき
でも、子どもたちは、私の目には、すごく自由に見えます。
「○○さんは、はきはきと発表していてすごいです」
と、本人に対しての感想だったり。
「○○してえらいなと思いました」
一言述べて終わったかと思いきや、再び手を挙げて、また違う感想を言ったり。
そのたびに私は、
そっかー、別に内容に触れなくたって、思ったことを言っていいんだな。
綺麗にまとめて話さなくてもいいんだな。
思いついたら、ぽんぽんと手を挙げて、しゃべっていいんだな。
って思います。
学校や、勉強や、表現に対する枠が、自然に外れていくんですね。
低学年は、使う単語が直接的で、数も少ないのですが。
学年が上がるにつれて、感想の表現も多様になり、
まとまった考えを流暢に話す子に、びっくりすることもあります。
成長過程の子どもたちから学ぶことは、本当に多くて。
おもしろいなあ。なるほどなあ。って、いつも聞いているのです。