小学校で、クラスにひとりは、いたと思う。
体育でも休み時間でも、なにか球技をしていて、
ボールが渡ると、周りから歓声が上がる人。
鮮やかにボールを捌く、レベルが段違いに上手い人。
同じチームにいてくれると、絶対的安心感のある人。
勝敗を決する、ヒーローになる人。
私はといえば、それとは真逆の、
万にひとつボールを手にした日には、周りからため息がもれる人だった。
歓声が上がる人は、まぶしくて遠い人。
目をそらして、直視しないようにしていた。
その輝きを受け入れたなら、私の世界は白く潰れてしまうだろう。
――子どもの球技大会に行って、必ず歓声が上がる人を見て、
数十年前の、きゅう…と心が縮こまる音を、思い出す。
いまでも私にはまぶしくて、
だけど、しっかりと直視してきた。
きゅうんと縮こまる心の音は、
飼い主の活躍を喜ぶ、仔犬の鳴き声のようでもあり、
場のざわめきと揺れる空気を受けて、かき鳴らされる楽器の音色のようでもあった。
あたり前に、ここに存在する音でしかなかった。
俯瞰してみて、腑に落ちる。
私は、ここにいていいのだった。
