義祖母が入院した。
認知症が進んではいたのだけれど、すこぶる元気で、迫力満点の90歳。
癖の強さでは、町内でも指折りの有名人である。
諸事情により、しばらく病院で預かってもらえることになった。
義祖母の身体機能は、年相応よりも健康であったので、
私には、いわゆる「介護」と言われて一般的に想像されるような、日々の苦労があったわけではない。
ただ「対応する」だけだった。
呼ばれたら、話を聞く。
毎日何かしら不安になるのだが、だいたい1〜2時間聞けば、義祖母は落ち着きを取り戻す。
昨日も一昨日も、その前にも聞いた話を、今日初めて聞くように聴く。
ここに行きたいと言われたら、連れて行く。
幸い、訪問先はどこも、さほど遠くではない。
一度に複数箇所での用事は、本人が混乱するため、何回かに分けて、送迎や付き添いをする。
困りごとには、本人の納得の行くまで付き合う。
携帯がない、財布がない、印鑑がない。
郵便が来たけれど内容がわからない、携帯の電源を入れられない。
荷物が運べない、片付けや手入れをしたい。
公的窓口でのさまざまな手続きごとは、本人にそれと悟られないよう、
先方に認知症である旨を伝え、必要なやりとりが滞らないよう、サポートに入る。
家庭の状況として、家にいる時間がいちばん長いのは私だったため、私が対応することが多かったけれど、
私ができないところは、旦那さんやケアマネさんに入ってもらった。
私は、私のできることしかしなかった。
私がしていたのは、必要な対応をすることと、いつでも対応できるようにしておくこと。
子どもに対するのと、同じようなことである。
子どもに対するのより、ずいぶんと大変ではあったけれど、
介護の中では、苦労とは言えない苦労だし、
それなりに割り切って、無理なく向き合っているつもりだった。
義祖母が入院して初めて、そうではなかったのだ、とわかった。
たとえば、予定のない休日の朝、のんびりと朝寝坊できること。
朝昼晩、いつでも好きなときに、買い物や散歩に行けること。
読書を妨げられないこと。
子どもたちが学校に行けないとき、理不尽な怒りを受けなくてすむこと。
これらが、いま私には、とても嬉しい。
いつ呼ばれるかと神経を研ぎ澄ませながら、一日を過ごさなくてよいことが、
こんなにも気持ちを穏やかにするとは思わなかった。
今日の午前中は、本を読んで過ごした。
お昼近くになり、子どもたちとごはんの相談をしたら、
長男と次男がホットケーキを焼きたいというので、材料を買いに、ぶらりとスーパーまで行った。
お腹が空いたねと笑いながら作って、食べたのは、ずいぶんとお昼を過ぎた頃だった。
お茶を飲んでテレビを観てから、食器を片づけた。
そしてまた、読んだり書いたり、ときどき子どもたちとしゃべったりしている。
私の、私たちの早さで、暮らしが流れてゆく。
心地よい、穏やかな時間だ。
義祖母の退院後、どのような形になるのか、先はわからない。
不安がないわけではない。
それでも、今のこの、そよ風が微笑むような時間を、
体と心いっぱいに、吸い込んでおこうと思う。
「ちょっとゆっくりしいや」
と、私に言ってくれた家族に、感謝している。
息子がたくさん焼いてくれたホットケーキは、
柔らかくて、ときどきぱりっと、香ばしい。
今夜のおやつに、また食べる。