長男と一緒に見ていた、ゲゲゲの鬼太郎。
今回、私好みの話ですね。
ねずみ男が、やたらいい奴で、格好よくなるやつ。
映画のお気に入りと、同じ雰囲気です。
好きだったので、あとでもう1回、ひとりでゆっくり見ました。
現代のゲゲゲの鬼太郎
私より前の世代の鬼太郎は、もっとおどろおどろしい、でも人々の暮らしに溶け込んでいたイメージです。
私のあたりは、恐怖感は減ってきたけれど、まだ近しい存在として、妖怪がいた。
人間にも、積極的に関わっていたような気がします。
そして、やたら自衛隊が出ていました(笑)。
それが今シリーズ、長男と見始めたときには、現代に妖怪が絡めるのかなあ、と心配していました。
鬼太郎は頑なだし、猫娘はスマホ使ってるし!
でも、回を重ねるごとに、だんだんなじんできた感じ。
科学技術が進歩していても、結局は人間なんだものな…と、ちょっと安心してしまいました。
ただ、やっぱり、昔ほど直接的に、人は死なないんですね。
妖怪の犠牲になった善人が、無事に帰ってくることにも、びっくり。
命を落としているキャラクターは、自業自得なパターンが多いように感じます。
人を滅ぼすのは、結局、人自身ということかな。
けれど、うちの長女などは、理不尽に巻き込まれて妖怪の犠牲になる人間が描かれていると、すごく嫌みたいなので。
これはこれで、我が家には合っているのかもしれません。
人間という生き物
私も、封印が解かれた妖怪が、悪さをしようとするわけではなく、ただ人を喰らうようなのは、怖くて苦手でした。
捕食というのか、妖怪としての自然の摂理において、人間の命を奪うようなパターンです。
食うか食われるかの食物連鎖の頂点にいて、生物としては、生命の存続の危機はない世界に生きているはずなのに、突然喰われる。
悪意も敵意もなく、ただ自然の理として。
それは、ある日突然、私にも起こり得ることなんじゃないか…という、怖さだったと思います。
ジブリの「もののけ姫」を見たときの畏れとも、似ているかな。
目に見えないのは、妖怪も神も、サンタクロースも、人の気持ちも、みんな一緒で。
目に見えないものを想像し、信じることができるのは、人間の大切な力で。
子どもたちには、その力を、あたたかく伸びやかに育んでほしい。
鬼太郎を見た記憶が、いつか、子どもたちにも考えるきっかけになったらいいな。
そう、思います。