「これ、食べてみたい!」
外食先でメニューを開いて、子どもが目をきらきらさせるとき、
私の頭の中によぎるのは、いつも同じ思考だ。
ーー偏食かつ少食のわが子が「食べてみたい」というものは、チャレンジさせたい。
だけど、全部食べきれる保証は、まったくない。
となると、残りは私が食べねばならない。
そのためには、私の頼む量を調整して…
本当は、自分の好きなものを、ゆっくり味わいたいんだけど…。
そんなとき、いつも思い出す出来事がある。
私が小学生の頃、家族でショッピングセンターに行き、
フードコートでたこ焼きを食べるのが、何より楽しみだった。
けれど、いつも妹と半分こなのである。
8個入りのたこ焼きを、2人で分けたら、4個しか食べられない。
「もっと食べたい」と訴えてみるも、
「食べきれないでしょ」と返されるのだった。
ある日、テストを頑張ったごほうびにと、私は、
「たこ焼きを、1人で全部食べたい!」
父にお願いして、念願の“8個入りたこ焼き”を、手にしたのである。
それはもう、天にも昇る喜びだった。
きれいに8個並んだたこ焼きを見て、私の心はときめいた。
これを全部ひとりで、好きなだけ味わって、食べていいのだ!
夢にまで見たたこ焼きは、おいしかったーー6個目までは。
当時の小さな胃袋には、8個はやはり多かった。
それでも、私は食べきった。
ちょっぴり気持ちが悪くなったけれど、当分たこ焼きはいらないとすら思ったけれど、食べきった。
だって、どうしても食べたかったたこ焼きを、あきらめたくなかったから。
買ってもらったのに食べきれないなんて、叱られたくなかったから。
おいしかった。嬉しかった。
だけど本当は、6個と2個で、父と分け合って、
「おいしいね、よかったね」と笑いたかったのだ。
ときめきを、嬉しさを、私は父と共有したかった。
そう気づいたのは、ずいぶんと大人になってからのことだ。
子どもの「食べてみたい」には、ときめく気持ちが詰まっている。
見つけたときめきを、できるだけ一緒に体験してあげたい。
チャレンジしてみて、予想以上においしくて笑顔になったり、期待はずれでがっかりしたり、
ときめきの結末は、いろいろあった。
結局、食べきれなかったぶんを引き受けながら、こう思うのだ。
ーー私はいま、この子のときめきのかけらを、食べている。
この子のときめきを、体で共有しているのだ、と。
