【エッセイ】鷺氏の学び

さやさやと、草を揺らして流れる川の真ん中に、
鷺が一羽、立っていた。

足だけを濡らしたまま、微動だにしない。
涼しさを含んだ風が吹き抜ける、秋晴れの朝。
写真みたいな光景だった。

気持ちよさそうだなあ。
おふろにでも浸かっているかのような。

鷺が味わっているであろう、水と風の感触を想像して、
心地よさに身を委ねかけたとき。

ぱしゃ。

鋭い水音が響く。
目にも止まらぬスピードで、鷺が魚をくわえていた。

…すると、この鷺氏は、
のんびりと水に浸かっていたわけではなく。

獲物を待ち、狙いを定め、
一瞬を逃さず、的確に動くために、佇んでいたのだ。

それを勝手に、くつろぎの風景に重ねるなんて…!
大変失礼いたしました。
心の中で、誤解を詫びた。

そもそも私が、なぜ鷺氏の姿を「のんびり」と捉えたのか。
自分が、のびやかな気分だったからである。
気持ちのよい気候、爽やかな空、足取りも軽く歩いていた。

もしも欝々とした気分だったら、佇む鷺氏を、
「露とも動かず、何やら思い悩んでいるような」と感じたに違いなくて。

どこまでも、自分の基準でしか、世界を見ていない。

主観は大切だけれど、
主観以外の世界があるということは、忘れずにいたい。

人間同士でも、こういうこと、あるよね。
わが身をふり返って、鷺氏に学ぶ。

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