私は『美少女戦士セーラームーン』ど真ん中で育った世代である。
また、娘がいるので、小さい頃は『プリキュア』シリーズに、もれなく夢中だった。
戦うヒロインたちの主題歌は、今でも聴くと元気になれる。
彼女たちは、とてもまっすぐだ。
毎日をハッピーに生きていながら、世界を守る役割をまっとうしている。
そして、同じ温度感で、同じ目的地を目指す仲間がいる。
子どもの頃、私は無自覚に生きづらさを感じていたけれども、同時に、いつか彼女たちのようになれると信じていた。
少々ひねくれた年頃になると、漫画のようには世界は動かないとわかり、時代劇と同じ約束の、子ども向けの夢なのだと割りきった。
今では、ヒロインたちを尊敬している。
「彼女たちのように生きることは、可能だ。だが、とても難しい」
と思っているのである。
彼女たちは、傷ついてもあたり前のように立ち上がるし、あきらめないし、仲間を大切にする。
背負った役割が命がけであっても、毎日笑いあって過ごしている。
物語の中では、それが普通に感じられるけれども、自身のリアルな暮らしにあてはめて想像してみると。
家族や上司に腹も立つし、同じ温度感で物事に向かうには、並々ならぬ下準備と共有が必要だし…、
彼女たちのように「普通に」過ごすのは、不可能とは言わないけれど、私には無理である。
大人になって、さまざまに社会と関わって、ヒロインたちの「普通」が尊いものだと、よくわかった。
その尊さが、あたり前のように詰まっている主題歌を聴いては、
「できるよ。きっと」
と言われている気がして、元気になれる。
私の中にも、小さなヒロインたる私がいて。
日々の役割を生きながら、彼女たちのように、わくわくどきどき、ハッピーな心を持ち続けているのだと信じたい。