「朝が来る」と一緒に借りてきた、子ども物の小説です。
どちらも、テーマから想像するに、重めのテイストかな…と、読んでみたのですが。
こちらは、小気味よい展開と、後味でした。
何だか、まな板と包丁が奏でる、リズミカルな音を聴いているよう。
ああ、有川浩さんの物語なんだなあ、と思いました。
読後感も、すっきり。
決してすべてが綺麗に解決するわけではない分野のはずなのに、この爽快感は、たまらないです。
知らない世界を知っていく
児童養護の世界は、本当に表面的にしか知りません。
漠然としたイメージがあるだけの私は、物語に出てくる、何も知らない一般人と同じ。
だからこそ、著名な作家さんが描いてくれると、響くものが大きいです。
ときとして、ノンフィクションやドキュメンタリーよりも、確実に真ん中の部分を伝えてくれるのは、小説のすごいところだなあと思います。
作中に、こんな言葉がありました。
「人生は一人に一つずつだけど、本を読んだら自分以外の人の人生が疑似体験できるでしょう。物語の本でも、ドキュメンタリーでも。そうやって他人の人生を読んで経験することが、自分の人生の訓練になってることがあるんじゃないかって、先生は思うのよ。踏み外しそうなときに、本で読んだ言葉が助けてくれたりとか……」
(中略)
「本を読むと、自然に想像力が培われるんじゃないかと思うのよ」
「どんな本を読むのがいいのかな」
久志が尋ねると、福原はにっこり笑った。
「きっと、何でもいいのよ。楽しく読んだものは、全部自分の糧になるわ。ゾロリンもハヤブサタロウも」
ああ、そうかと腑に落ちた。
ゾロリンやハヤブサタロウに感情移入してドキドキしたりハラハラしたり、泣いたり笑ったりしたこと全てが、自分の心を耕してくれているのだ。
知らない世界を、人生を、味わえること。知っていくこと。
私は、自分の心に、ちゃんと肥料をやって、耕してきていたんだな、と嬉しくなりました。
本ばかり読んでいたことは、私の子ども時代には、あまりほめてもらえる要素ではなかったけれど、こんなふうに言ってくれる大人がいたら、よかったな。
そして私も、こう言ってあげられる大人でありたいです。