「思春期の接し方が子どもの人生を左右する!」と言われたら…。
おまけに帯には、
「どうせムリだから…」「やっぱり私のせいだ…」
娘さんの自己肯定感が低いのは親の責任です!
なんて書かれていたら。
気になって、とりあえず読んでしまうではないですか(笑)。
タイトルと帯には刺さるものがありましたが、とてもおもしろい本でした。
私自身、高校生以降の物事の感じ方は、割と記憶に残っていて。
「私はこれが嫌だった、苦しかった」「親にはこうしてほしかった」と覚えている分、ある程度の目標や母親像があります。
けれど、小学校高学年~中学生あたりまでは、ところどころに印象深かった出来事があるぐらい。
あとは背景のように、うすぼんやりとしています。
自分が確立されていく、あやふやな年代でもあったからでしょうか。
記憶にない時期なので、今まさに向き合う娘との関係は、手探り状態です。
これまでは喜んで受け入れてくれた愛情表現が、ちょっとずれてきているような。
そんな親子関係の、新しい指標になりそうな1冊です。
「思春期は、娘を手放す練習期間」
重みのある言葉です。
今まで寄り添う育児に集中していた私は、ともすれば娘と自分を同一視しかねないことを、特に心しなければならないと思います。
また、自分が子どもの頃に憧れていた、友達や姉妹のような親子関係についても、共依存と紙一重なのだとわかりました。
子どもに共感することは大切ですが、同時に、関係性を客観視できる力も必要ですね。
どのような人間関係でも、同じことなのかも。
他にも、
- 娘を自分と比較しない
- 人前で不用意に褒めてはいけない
- 娘の「○○が苦手だから」には同調しない
など、ついやってしまう育児や会話にも、気をつけたい部分がありました。
女子特有の発達
ヨコにつながった人間関係で集団を作る、女子ならではの原理。
「突出できない」デメリットを回避するための方法として、学校以外の場所で、得意なことを持つこと。
また、抽象的な概念は、男女とも10歳頃から発達するものの、男子は「理数→言語」女子は「言語→理数」という違いがあること。
その発達に合わせたカリキュラムで学ぶと、決して「女子は理系が苦手」ではないということ。
「男らしく」「女らしく」という理由づけの育児は減ってきていますし、社会のあり方も、どんどんジェンダーレスになっていますが。
それとは別に、生物学的な特徴や発達段階に合わせていく子育ては、理にかなっているのですね。
男女関係なく、「可愛い赤ちゃん」「小さな我が子」として接してきた子どもたち。
思春期を迎える娘とは、これからヨコの関係を大切に、対等な大人として扱う意識を持ちたいと思います。