Sign with Me 店内は手話が公用語(柳匡裕)

手話には、興味がありました。

学生の頃、点字とともに、さわりだけ教わったこともあります。

だけどもちろん、それは福祉的な意味のもので、実生活で使ったことはなかったし。

ろう者と難聴者と中途失聴者との区別すらついていなかったほどですから、ビジネスには考えも及びませんでした。

その新しい形が、ここに描かれています。

手話は、英語や中国語などと同様に、日本語とは別の、ひとつの言語なんですね。

手話者には、独自の言語があり、文化があり、価値観がある。

それなのに、聴者の社会のシステムに組み込まれて生きなければならないというのは、まるで植民地に暮らすようです。

今の社会環境が、ろう者であることを「障害」にしてしまっているんですね。

著者にとって、「耳は進化の過程で退化した痕跡器官」でしかないのだそうです。

「聞こえた方が幸せ」とは誰が決めたのか。

何が幸せで何が不幸なのかは、すべて聴者の考えが基準なのだ。

ろう者の基準に照らし合わせれば、生まれてきた子がろう者であってもそれは決して不幸ではない。

柳さんは、そう言い切ります。

一人ひとりが主役で、誰もが「ありがとう」をもらえる社会こそが、彼の目指すところで。

ろう者であり手話者である著者は、手話を「かっこいいから」「ビジネスに使えるから」学びたい、となるようなアプローチを生み出すことで、その社会の実現に向かっています。

「ありがとう」と言ってもらえることって、自分が誰かの・何かの役に立てていると思えて、生きている実感が湧くので、本当に大切だと思います。

実際に自分が入院したときに、そう思いました。

患者なので、医師にも看護師さんにも、入院生活を支えてくれる業者さんや助手さんにも、お見舞いに来てくれた人にも「ありがとう」を言うばかりなんです。

十分なケアを受けることができて、心から感謝しているのですが、生きる気力のようなものが削られていきます。

目には見えないけれど、ほんの僅かずつではあるけれど、「ありがとう」と誰からも言ってもらえない生活には、確かに損なわれていく何かがあるのです。

福祉と自立

私はこれまで、福祉や介護について、幾度か学ぶ機会を得ました。

子どもが学校に行けなくなってからは、そういった子ども向けの福祉にも、触れることもありました。

昔と比べて、福祉は充実してきている印象を受けます。

でも、高齢者や障害者といった、福祉的視点で見たときに守るべき対象者も、昔より増えていて。

支援する側と、支援される側という関係のみでは、年金のように支えきれなくなる日が来るのだろうな、と考えてしまいます。

だからこそ、この本に書かれているような「WIN-WINの関係」が、大切になってくるのではないでしょうか。

高福祉社会は素晴らしいことだけれど、福祉漬けにすることは必ずしも善とは限らないのですね。

以前、介護職の研修を受けたときは、「介護は、『介護サービス業』という、尊厳を守り自立を支援する仕事だ」と聞きました。

その支援とは、当時は「こちらから相手に対してさせていただくもの」というイメージでしたが。

ひとりひとりが自立するためには、直接的な手助けのみならず、政治単位での改革も必要ですし。

ろう者と聴者の世界が別物であるように、自分の生きている社会だけが唯一絶対ではないことを実感し、互いにとってプラスになるように共生することもまた、支援のひとつの形ですね。

一方通行ではなく、双方向への支援となる「WIN-WIN」の社会の形。

誰もが「ありがとう」をもらえる社会のために、私ができることは、何だろう。

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