「とりあえずビール。」で不登校を解決する(蓑田雅之)

蓑田雅之さんの、2冊目となる本です。

前著のタイトルである「おはなしワクチン」は、蓑田さんが「不登校に対する免疫を保護者の方につけていただく」ために行っているセミナー活動の名称でもあります。

セミナー発だからなのか、「おはなしワクチン」も「とりあえずビール」も、とても読みやすく、わかりやすいです。

また、こちらは特に父親に向けているのことで、居酒屋の例えを用いながら、お父さんだからこそ心配なこと・できることが書かれています。

何となく、共感的というよりも、俯瞰的・客観的な印象を受けるのも、そのためでしょう。

元になった座談会の内容をまとめた冊子も同封されていて、母親が読んでも、

「なるほど、父親はこんなふうに感じ、考えるのか」

と知ることができます。

私が特にいいなあと思ったのが、ある不登校親の会でのエピソード。

今は社会人となっている不登校経験者の男性に、ある母親が、

「不登校の子に、父親はどのように接したらよいでしょうか?」

と訊ねます。その答えが、

「そうですね。日曜日のお父さんみたいに接したらいいんじゃないですか」

というものです。

日曜日のお父さんとは「子どもが学校に行かない状態を、ごく当たり前のこととして受け容れている」状態です。

不登校という概念がなくなると、こんな世界になるのでしょう。

うちの場合は、旦那さんよりも、義家族が問題なのですが…。

不登校の子どもたちは、平日の日中に外を歩くのが後ろめたいのに対して、サドベリースクールに通う著者のお子さんは、明るく堂々としているそうです。

その違いは、学校に行っていない状態を、周囲の大人が「認めているか否か」。

周囲の「非承認」が、子どもの「自己肯定感」を下げていく。

これなんて、もう、昔の自分自身を見ているようで、涙が出ました。

長女が学校に行けなくなってから、同居家族の理解を得られなかったために、家で過ごすことができませんでした。

学校にも別室での個別対応をお願いして登校させてみたり、適応指導教室に連れて行ってみたり…。

それでもだめなときは、目立たないように静かに、隣町までドライブしたり、知り合いに会わない場所で過ごていました。

肩身が狭く、落ち込むばかりで。

でも、幸いにも理解ある支援者の方々に支えられて、

「無理に行かなくてもいいじゃないか」

「堂々としていればいいじゃないか」

そう思えるようになってからは、私の行きたい場所に娘を連れて行ったし、ランチや買い物も楽しむようになりました。

行った先で訊かれても、私は「子どもが学校に行きづらくて」と答えられるようになりました。

ただ、私は大人で、当事者ではないから。

我が子に「行けなくてもいい」「堂々としていればいい」と承認をあげられる、いちばん身近な大人は、親なんですよね。

義家族の理解は、あいかわらず得られないままだけれど。

それでも、胸を張れるように、顔色をうかがわないようになりたい、と思いました。

サドベリースクールについて書かれたところを読むたび、とても惹かれます。

必ずしも一条校ではない方が優れていると考えるわけではないし、我が子に何が合うかはわからない。

今この環境では、実際にサドベリー教育をするのは難しい。

それでも、やはり、やってみたいなあという思いは、心の片隅にあります。

何より親の意識が変わること…たとえば課題の分離ができるようになったり、縦ではなく横の対等な関係を築いたりすることは、大きな意義があると感じます。

また、学歴について語られている、「経済的な自立のために学歴が必要なのは、あくまでも会社員になる場合の話」という部分。

これも、言われてみれば確かに、と納得するのに、我が子のこととなるといらぬ心配までしてしまう親心を、軽くしてくれます。

中卒認定試験というものがあるなんて、初めて知りましたし。

高卒認定試験は、年齢・国籍・学歴を問わず、16歳に達していれば、どんな人でも無条件に受けられる、いわば「特急列車」という見方も、目から鱗でした。

小中高と毎日通って卒業するのが「普通列車」とするならば、段階をすっ飛ばして一気に大学受験に到達する高卒認定試験は「特急列車」。

だとしたら、今みんなと同じ電車に乗れなかったとしても、焦らなくていいのだと思えます。

「不登校の概念をなくす」に始まり、まさに世界が逆転していく1冊。

読んでみて、よかったです。

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